「目がちーちゃい」ではない。
「メガチャーチ」である。
「メガチャーチ」と言っても、ちゃーちなものではない。
立派なものだ。
先日テレビで知った、アメリカの「超大型キリスト教会」だ。
「ン千台収容の駐車場」を備えた、「超大型ショッピングセンター」みたいな感じの教会だ。
何千人もの信者を前に、牧師が説教していた。
エレキギターなどを交えた、ポップス調賛美歌を歌っていた。
思い出した。
私は、三十年ほど前、毎週テレビでこういう「アメリカ式礼拝」を見ていたことがあるのだ。
アメリカの教会の日本支部がスポンサーになって放送していたと思う。
何種類もの教会の「テレビ礼拝」があった。
私はヘンなものが好きなので、楽しみにして見ていた。
そのとき初めて、ポップス賛美歌を聞いた。
女の人が、指をぱちんぱちん鳴らしながら、「イエーイ、神様!」とか歌っているのが、なんだかヘンで楽しかった。
「子供は建築中」という歌があったのを覚えている。
子供は未完成の建築物である、という歌であった。
ある番組では、「あなたは愛されていますカード」というのがあった。
「あなたは愛されています」と書かれたカードを、かわいい子供たちが、老人たちに配るのである。
今の「メガチャーチ」はもっと攻撃的だ。
「赤ちゃんクラス」「幼児クラス」もある。
保母さんが、子供たちに、かわいい猫ちゃんも神様が作ってくださったのよ、と教えている。
保母さんが、「イエスが一番!」と叫ぶと、子供たちもかわいい声を張り上げて、「イエスが一番!」と叫んでいた。
アメリカがこれほど北朝鮮と似ているとは思わなかった。
この教会の信者である若いハンサムな弁護士は、イラク攻撃は、聖書に書かれている正義の戦いであると語っていた。
「宗教」とか「信仰」の話になると、私がいつも思い出すのは、江戸時代の川柳だ。
信心のついて娘のむつかしさ
「おみつぼう」が、突然何とか言うお上人様に心酔して、寺に通いずめだ。
こうなるとどうしようもない。
しかしまあ、若さゆえの、一時の気の迷いだ。
「むつかしさ」という言葉には、そういう諦めと信頼が感じられる。
江戸時代なればこそである。
今はそうはいかん。
信心のついて娘の恐ろしさ
「娘」のところは、「首相」「大統領」他なんでも可。