大阪市役所の「カラ残業」が問題になっている。
久々にほっとする話題だ。
「サービス残業」は、これまでしばしば問題にされてきた。
残業しても手当てがもらえないと言う悲惨な話だ。
「カラ残業」は、残業していないのに、残業手当がもらえるという心温まる話だ。
「サービス残業」について聞くたびに、やり切れない思いをしてきたが、「カラ残業」というものがあることを知って、胸のつかえがおりた。
一方で損をしているが、一方では得をしている。
個人レベルで見れば不公平ではあるが、日本民族全体と言う大きな目で見れば、損得なしだ。
バランスが取れている。
中庸を尊ぶ日本民族の知恵と言える。
「サービス残業」という言葉は非常にいい言葉だ。
性善説にたっている。
「ボランティア残業」と言いかえてもいい。
「自主性」とか「奉仕の精神」をしのばせる言葉だ。
中学生や高校生に、「ボランティア活動」を義務付ける動きがあるが、賛成できない。
会社に入ってからでよろしい。
「サービス残業で」社会に恩返しするのだ。
「会社」というから角が立つので、ちょっと入れ替えて「社会」にすれば丸くおさまる。
言葉は大事だ。
一昔前、マルクスとエンゲルスの亡霊が、手に手を取ってさ迷い歩いていたころなら、「サービス残業」ではなく、「搾取残業」とか「奴隷残業」とか、自虐的な言葉が使われていただろう。
「サービス」のほうが「搾取」よりはるかに健全で美しい。
最近よく見かける「過労死」という言葉もいい。
「自然に死んでいく」という感じが出ていて、しみじみする。
これも一昔前なら、「企業殺人」などの恐ろしい文字が新聞をにぎわしていたことだろう。
ただ、「過労死」についての相談を受け付ける窓口が、「過労死110番」というのは、納得できない。
「過労死119」がふさわしい。
「企業殺人110番」ならよろしい。