昨日は父の十年祭であった。
神道は、亡くなって五年ごとにお祭をする。
葬式の時に使った、父の写真を出す。
私が撮影した写真だ。
父は、「備えあれば憂いなし」の人だった。
80歳になったある日、家でネクタイを締めて背広を着ている。
出かけるのかと思ったら、私に、「葬式用の写真をとってくれ」と言う。
そのとき、母の写真も撮影したが、ボケが進行中であった母には、何のことかわからなかっただろう。
写真の父は、疲れた表情である。
80を過ぎて、妻がボケの進行中だから、心身ともに疲れていたのは当然だ。
亡くなった伯父や伯母のことは、なつかしく思い出すことがあるが、父に関してそういう感情はない。
たぶん、私からまだあまり遠くに行っていないのだろう。
お供え物の鯛。
家内が、神主さんから教えてもらって、糸で口と尾をくくって、尾がぴんと跳ねているかっこうにした。
なかなかよろしい。
イキのいい鯛です!という感じだ。
夜、早速焼いて食べた。
おいしー。
思わず鯛に手を合わせて感謝する。
十年に一度くらい、おいしいものを食べて、感謝する気になる。
十年に一度しかおいしいものを食べてないという意味ではありませんよ。
前は、おいしいカニを食べた時、感謝した。
ばらばらの足のカラや甲羅が残っているので、感謝しやすいように思う。
鯛も、大きな頭と立派な丈夫そうな骨とぴんとしたしっぽが残っているので、感謝しやすいのだろうか。
今朝、バス停でツバメを見かけた。
ツバメにも感謝する。
ツバメを食べる気はないが、姿かたちや飛ぶ様子が、見ていて気持ちいい。
いい気持ちにさせてくれるので、感謝する。
私の真上の電線に一羽とまった。
羽の黒さと腹の白さ、のどのあたりの赤みがビューティフルである。
真上にいるので、しっぽが、ピンと二つに分かれているのがはっきり確認できる。
「燕尾服というのはネ、私からでた言葉でなんですよ」と、親切に教えてくれているようだ。
「私がいなかったら、どうするんですか」と、威張っているようでもある。
改めて、ツバメに感謝する。