若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

国会中継

風邪で休んでいる間に、テレビで国会中継を見た。

紙芝居を見ているような感じだ。
テレビで見ていてさえなんとかならんのかと思うのだから、議員たちは大変な苦痛を味わっていると思う。
居眠りするなと言うほうが無理だ。

自民党の西野あきらさんが出ていた。
この人はウチの会社のある選挙区の人だ。
大阪府会議員からめでたく国会議員になった。

府会議員時代と国会議員になってからと、二度直接お会いしている。

最初は、かなり前の府会議員選挙の直前だった。
私はある大物府会議員のパーティに出席した。
ウチの得意先に2万円のパーティ券を買わされたのだ。
そこで西野さんの挨拶を聞いた。

その府会議員は、大阪でも有数の資産家であった。
ホテルの大パーティ会場は人で埋まり、大盛況であった。

西野さんは、「実に盛大なパーティで、同じ府会議員でもこうも違うものかとうらやましい限りで御座います」と実感のこもった挨拶をした。

さて、講演などがすんで立食パーティに移ると、会場は修羅場と化した。
食べ物が置かれたテーブルに、後援会婦人部のおばちゃんたちが突進し押し合いへし合い奪い合い、最初のおばちゃんたちが別のテーブルに移動すると次のおばちゃんたちが突進し押し合いへし合い奪い合い、そのおばちゃんたちが(以下同文)

ついに私は2万円のパーティで何も食べることができなかったのだ!
2万円の元を取る気で食いにかかるおばちゃんたちにかなうわけがないではないか。

当然その大物議員は落選した。
選挙参謀を務めたウチの得意先の社長も、「消費税とあのパーティがこたえたな」と言った。

次は、東大阪市の「もの作り支援センター」の開所式だ。
西野さんが地元選出代議士として祝辞を述べた。

私はある異業種交流会の会長として出席していた。
その異業種交流会の二代目会長になってほしいと事務局の男性が訪ねてきたとき、私は悪くない人選だと思った。
それにしても、三十人ほどのメンバーの中から、私の人格識見指導力、どのあたりが評価されたのか聞いてみた。

「一応、年の順ということで」

こういう人は出世しませんよ。

開所式です。
西野さんは、開口一番、重々しく、「もち作りの町!」と叫んだ。
あまりにも堂々とした言い方だったので、私は、いつから東大阪市が「もち作りの町」になったのか考えてしまった。