若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

「法の前における虫と獣」

ニコラス・ハンフリー著「喪失と獲得」に出てくる話。

進化心理学から見た心と体」について書かれた本で、知的好奇心を刺激される人もいるだろうが、私は「法の前における虫と獣」に痴的好奇心を刺激された。

ヨーロッパでは、中世から19世紀に入るまで、動物や虫が裁判にかけられている。
教会でおしゃべりしたため告発された雀から、赤ん坊を窒息死させたとして殺人で告発され絞首刑になった豚、その他、牛、犬、ハエ、バッタ等が裁判にかけられている。

裁判は真剣に、正規の手続きに従って行われ、弁護人もついた。
村を荒らした罪でネズミ達が召喚されたが出頭しなかった。
弁護人は、被告たちは出頭の意思はあるが猫がいるので恐いのだと主張した。
裁判所は、六日以内に村から退去するよう命じたが、弁護人は、妊娠中のネズミや幼いネズミは猶予してほしいと訴え認められた。

動物だけではない。
教会でお祈りしていた人に大きな十字架が倒れてその人が死んだ。
この十字架も裁判にかけられている。

古代ギリシャもそういう社会だったそうだ。
柱が倒れて下敷きになって人が死んだら、その柱は殺人の罪で追放された。
プラトンは『法律』という著作でそう書いているそうだ。

動物裁判」について、多くの公文書が残っているにもかかわらず、これまで学者たちは取り上げてこなかった。
まあ、取り上げる気はせんでしょう。
著者は果敢に取り上げた。
人は、無秩序、無法に耐えられないので、社会を襲った突発的事故を「悪意に基づく犯罪」として裁くことで精神的平安を得たのではないか、という説である。

次女が三歳くらいのとき、近所の公園に行った。
大きな球形の遊具を回して娘と乗った。
手すりにつかまっていた娘が、突然
「パパ、手すりに『バカ!』って言っていい?」と聞いた。
涙を浮かべている。

「?どうして手すりに『バカ』って言うの?」
「手すりとおでことごっつんこした。手すりが悪い!手すりに『バカ!』って言っていい?」
「いいよ」
娘は手すりに向かって、「バカ!バカ!」と叫んだ。
娘は、手すりを犯罪者として位置づけ、告発し裁くことによって、世界は秩序だったものであり、正義が行われたと納得し、精神的安定を回復し、おでこの痛みを克服したのだ。

プラトンは三歳児なみの発想だ。
しかし、私たちも「少年の心の闇」では納得できないでいる。