若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

『まがたま模様の落書き』2

本のことを書こうと思っていたのに、本屋のオヤジのことを書いてしまった。

この本を注文したことは覚えていたが、題は忘れていた。
18歳のときオランダの銀行の日本支店勤務を命じられて、昭和25年から二十数年を日本で過ごしたオランダ人の回想記である。

前書きを読む。
「やる気のない銀行員として日本で過ごした二十四年」
面白そうだ。

著者略歴を読む。
「日本を去ってからも、国際銀行の要職を歴任、ニューヨークでは国際銀行協会会長を務め、オランダ王室より叙勲」
面白くなさそうだ。

本文を読む。
面白い。
よくそれで国際銀行の要職を歴任できましたね、と言いたくなるようなヘンな人だ。
18で日本に来て、6年後に最初の休暇でオランダに帰ったとき、「生まれ育った国にいながら、日本が恋しくてならなかった」というのだから不思議である。

この人は、日本人が「はい」と「いいえ」をはっきり言い切らないところにも好感を持つ。どんなに確固とした発言にも、不確定な要素があるのだということに気づいている分別が感じられるというのだ。

こういう、豊かな知性と想像力による観察をもとに日本をほめてくれているので読んでいていい気分になる。

もちろん、いいことばかり書いてあるわけではない。
昭和25年の、「傷ついた白い兵隊たち」という見出しに首をひねった。

占領軍の兵隊のことだろうか。
違った。傷痍軍人のことだった。
「傷ついた白衣の兵隊たち」ということだろう。

軍隊帽をかぶり、白い着物を着て、棒の様な義足か義手で、軍歌を歌ったりして、カネを恵んでほしいと訴えていた。
遠足で行く観光地には大勢の傷痍軍人がいた。
小さかった私にとって、非常に重苦しい光景だった。

その人たちの姿が恐ろしかったし、周囲のおとなたちは、彼らを厄介者扱いしているように感じられた。

著者は、戦後復興の活気あふれる日本で、道行く人々に施しを求める彼らの姿を鮮明に思い起こす。
敗戦から立ち直ろうと互いに気遣いながら暮らしている日本人が、傷ついた帰還兵を完全に無視しているという矛盾が理解できなかったと書いている。

子供であった私でさえ、いまだにうしろめたさを感じるのであるから、おとなは大変だったはずだ。
いつの間にか姿を見なくなって、忘れてしまっていたが、禁止令でも出たのだろうか。