若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

イントロダクション

注文してあった本が来た。
萱野稔人著『国家とは何か』

表紙を見ていやな予感がした。
題名の下に、たぶんフランス語と思える文字が書いてある。「国家とは何か」と書いてあるのだろう。表紙くらい、と言われるかもしれないが、こういういやな予感は結構当たるのだ。

読みはじめて不安は現実のものとなった。

「イントロダクション」

なんじゃそれは?
「序」とか「はじめに」とかいうことでしょう。
それがなぜ「イントロダクション」になるのだ。
不愉快である。

あわてて本のおしまいの方を見た。

「あとがき」

おかしいではないか。
なんでアタマが「イントロダクション」でケツが「あとがき」やねん。
「いやな予感」も「不愉快さ」も消えてなくなる。
鬼の首でも取ったような気分で読む。国家論なんかどうでもよくなって、あとはアラ探しだ。
残念ながら難しくてアラをあまり見つけることはできなかった。

「否定的なサンクション」という文章が出てきた。
「サンクション」という言葉に何の説明もないので、本来なら辞書をひくところだが、「イントロダクション:あとがき」で強気になっているからひかない。

「サンクション」に説明はないが、「産出すること」には(production)と書いてある。
どうなっているのか。

「富の我有化」という言葉も出てきた。
「我有化」は見初めだ。

「我有化」は「(appropriation)=専有」と説明してある。
よほどわかりやすく書くのがいやなのか。
そう説明しながら次の文章では「富を自らのものとするためには」と書いている。
なぜ、「富を我有化するためには」と書かないのかわけがわからん。
文句を言う私が悪いのだろう。こういう世界なのだ。源義経について知りたくて、講談社絵本シリーズ「うしわかまる」を買って、絵が多い、物足りないと言っているみたいなものだ。

「あとがき」には、この本を出版するに当たって特にお世話になった四人の名前をあげて、「この場を借りてお礼申し上げたい」。
誰が貸すと言った?
貸したおぼえはない。
「この場を我有化して」と書いてもらいたい。

最後に「父と母に」
さびしいではないか。
2730円出してこの本を買った私には一言のあいさつもないのか。