若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

カニ

甥のK太郎カニを送ってくれた。

立派なカニである。
早速食べた。
ぷりぷりの身の詰まったゆであがった赤いカニを見ていると、赤ん坊の頃私が風呂に入れたK太郎の姿が心に浮かんだ。
K太郎もぷりぷりと身が詰まって風呂でゆであがると金太郎のようであった。

甥が送ってくれるのは、伯父が送ってくれるよりうれしいように思う。
もう何かくれそうな伯父や伯母はいないが、これからは甥や姪に期待しよう。

なんの話か。
カニだ。

うまかった。
家内と娘の三人で食べた。
満足であった。
三人とも非常においしいカニであると意見が一致した。

食べた後、皿のカニの殻を見ていて、カニを食べたあとはすっからかんだなーと、今さらのように思った。
ばらばらにされた抜け殻だけが空しく残っている。

きれいに食べつくされたという感じだ。
これで他人事のようだ。
私たちがきれいに食べつくしたのです。

カニの殻を見ていると、うまいカニを食べたという満足感とともに一抹のさびしさを感じる。
このさびしさは何かと考えた。

たぶん、このカニが、自分がこんなにおいしいカニだということを知らないからではないか。
あわれである。
私たちが、おいしいおいしいと言って食べたことを知ったら、カニも少しは浮かばれるのではなかろうか。

何とか伝える方法はないのか。
生きているときに、おまえはおいしいとは言えない。
食べてみないとわからない。
おまえはおいしそうだから食べる!と言うのもちょっと残酷なような気がする。
生きたまま食べて、おまえはおいしい!と言うのはもっと残酷だ。
おまえはまずい!なんて言われたら死んでも死に切れないだろう。
恨み晴らさでおくべきか。

結局、「いただきます」「ごちそうさま」と心を込めて言うほかないようだ。

大学の美術部の合宿で、食事のとき私が「いただきます」と言ったら、M君が、「誰に言ってるんだよ」と笑った。
「おまえに言ってるんや」とそのときは答えた。

カニに言ってるのだろう。
カニさん、それでいいでしょうか。