若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

いい天気

昨日、母のいる施設に行った。
屋上に上がる。気持ちのいい天気であった。見晴らしがいい。プランターにパンジーがたくさん咲いていた。10年前ここに入居したとき、母はまだ歩けたし、花の名前も言えたし、会話も、「通じていると言えば通じている」と言えないこともなかった。
車椅子で無言でじっとしている母を見ても、衰えたとは思わない。こういう母に慣れてしまったからだろう。入居者の皆さん達も衰えて、屋上で見かけることも少ない。

昨日は珍しく、70代と思える女性がいた。
「いい天気ですね」と話しかけてこられた。
顔つきといい動きといい話し方といい、まったくふつうである。とても介護が必要だとは思えない。以前はこういう方がいくらもいた。ちょっと話をしている分にはおかしいところが全然ないので、その気になって話しているとずっこける。

女学校時代の話とか、みのもんたの番組の話とか、一方的にしゃべりすぎと言えば言えるが、もっと激しい人は世間にいくらもいる。どの程度の人なのか判断がつかない。
母を見ながら、「おたくの・・・・お母さん?・・・おばあさん・・・?」
「母です」
「おいくつですか」
「91です」
「あらー!おたく、若く見えますね。昭和・・・50年代でしょ?」
「21年です」
「あらそうですか」
微妙である。
「若く見える」のはよろしー。まったくよろしー。正常な判断であると言える。
「昭和50年代」はどうか。「昭和50年代」というと、私は母が60過ぎのときの子ということになる。それはちょっとおかしいかもしれない。が、別の見方だと、私が30代に見えるということだ。それはいいかもしれない。自分ではなんとも言えない。「私が30代に見えるなんてあなたはおかしい」と強く言う気にはなれない。

自分の結婚のいきさつとか色々話されたが、どの程度事実なのかわからないまま聞いていた。ふだん、「言葉は口から出まかせ」と思って人の話を気楽に聞きながす私であるが、ここへ来るとどういうわけか緊張してしまう。皆さんの言葉の中に「真実」が隠されている、という気になるのだ。隠そうとしているのではなく、本人にもどれが真実かわからなくなっている。それを探し出してあげるのは、聞いている私、頭がしっかりしているはずの私の役目だと思うからだろうか。
久々に疲れました。