朝日新聞朝刊「折々の歌」
「読みくださる読みくださらぬかたじけな買いくださるを第一として」
読んでくださるか読んでくださらないかわからんが、買ってくださるだけでありがたい。
アララギの巨匠、百歳で亡くなった土屋文明晩年の歌と紹介されると、ほほえましいような気もする。
私はこうはいかない。買ってくれなくてもいいから読んでほしい。というか、ほめてほしい。
ミエも張りもないのか!?
ありません。
『今日はラッキー!』を送ったのに何も言ってこない友人が何人かいる。
いくら私が勝手に送りつけたとは言え、着いた、くらいは言ってくれてもいいのではないか。
よほど迷惑で腹を立てているのか。
それならそれでT君のように、こんな本送られて迷惑だとはっきり言ってくれたほうがありがたい、と言えるほど私は人間ができていないので、むつかしいところだが、無言はどうかと思う。
高校時代の友人Y君のメールは模範的だ。
「本、ありがとう。家内が読んで面白いと言ってます。これから読みます」
読まないのは明らかであるし、ほめているわけではないのにほめたような文面になっている。これが、大人の対応である。
「鹿せんべいツイスト」のCDをばらまいた時、不思議な体験をした。
取引先の商社の営業マンAさんに渡したCDはどうなったのだろうか。
三十年来の付き合いのAさんは、私よりいくつか年上で、「完全無趣味」、休日は「ごろ寝」のみ。月、二、三度は来るが、いつも笑顔を絶やさず腰の低い本当に如才ない気配りの人だ。
なにか頼むと、すぐに「このように手配しました」と言ってくる。そして、「今、このような状態です」と逐一報告してくれる。うるさいほどである。
はじめはCDを渡すつもりはなかった。聞くわけがない。
が、ふといたずら心が起きた。どんな反応を示すであろうか。
会社で渡した。
表情はまったく変わらない。
「はあはあ、このCDを?ご自分で?さようでございますか。で、おいくらで?いえいえ、それでは恐縮です。買わせていただきます。いや、そんな、そうですか、貴重なものを・・・」
娘が喜んでました、くらい言うかなと思っていたのだが、あの如才ない連絡魔のAさんが、その後CDのことは一言も言わない。一言も言わないまま、定年退職してしまった。
あのCDはどうなった?