「アララギ」の巨匠土屋文明さんの歌でおぼえている歌はない。
「巨匠」だから「名歌」はあるはずだが、残念ながらおぼえていない。
おぼえやすい歌がないのだろう。
土屋さんの批評はおぼえている。
おぼえやすい、というか忘れられない。
批評する、というか罵倒するのである。
国鉄の職員が、職場でのつらい出来事を歌にする。
土屋さんの評は、「これは、世間知らずの国鉄職員の単なる愚痴である」
毎月一生懸命たくさんの歌を作って投稿する人がある。
土屋評。
「ラジオの懸賞なら数を出せば当たることもあるが歌はそうは行かない」
長年うまずたゆまず歌を作り続け、投稿し続けている人がある。
土屋評。
「これほど長い年月歌を作り続けて全然うまくならないのは、歌に対する態度が根本的にまちがっているからだろう」
土屋さんに批評されて歌をやめる人が多かったというのももっともだ。
そういう評判を聞いて土屋さんは心外だという。
「私は家元ではない。歌の道を共に歩む人に、一歌人として思うところを述べているだけである。私にほめられて有頂天になることもないし、けなされて落ち込むこともない」
もっともである。
もっともではあるが、師と仰ぐ巨匠にぼろくそに言われてやめたくなる人の気持ちもわかる。
昔ある雑誌に「わが師」というコラムがあった。
富岡多恵子さんが小野十三郎さんを紹介していた。
詩を教えてもらったわけではない。
富岡さんの詩を初めてほめてくれた人なのだ。
富岡さんによれば、「師というのは自分を認めてほめてくれる人」のことだ。
ほめてくれる人を師と認めようという姿勢である。
伝統工芸などの世界では、師匠が弟子をぼろくそにいうのがあたりまえのようだ。
えげつないくらいの師匠のほうがいい弟子が育つという説を読んだことがある。
誰が言ったか忘れた名言。
「いい先生、悪い先生というのはない。いい生徒と悪い生徒がいるだけだ」
名言だとは思うけど、イヤ、やっぱり悪い先生もいた、と思う私が悪い生徒か。