若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

倉敷対奈良

初めての倉敷である、と力むまでもなく、めったに奈良大阪を離れない私にとっては、ほとんど日本全国どこも初めてである。

倉敷の地元の方と話す機会があった。70代と思える気のよさそうな男性であった。どこから来たのかと聞くので、奈良と答えたら、ぎくっとしたように見えた。

気まずそうな、申し訳なさそうな表情で、
「奈良からみえたんなら、倉敷なんかつまらん街でしょう」

い、いや、そんな・・・。

東大阪市から来ました、と答えたら、「東大阪!あの中小企業の!?ごみごみした!?財政赤字の!?そうですかそうですか。ご苦労様です。まあ遠慮せずゆっくり倉敷を味わって帰ってください。わっはっは」ということになるのか。

倉敷の「美観地区」では、日本情緒あふれる中国製のみやげ物をたくさん売っていた。一昔前は、アメリカへ行ってみやげ物を買ったら、「MADE IN JAPAN」と書いてあったという話をよく聞いた。

日本は、中国みたいだったこともあるし、北朝鮮みたいだったこともある。
日本がフランスみたいな国になることはあるのだろうか、などというややこしいことは考えないでおこう。

大原美術館は立派であった。
美術館の入り口に立つロダンの「カレーの市民」を見て、家内が、「これが大原孫三郎?」と聞いたので、こけそうになった。

「これはカレーの市民!」
「カレー?カレーって、ボンカレー?ククレカレー?」
ロダン!」
「え!ロダン!?大塚のボンカレーなら知ってるけど、大原のロダンのカレーなんて食べたことない」
「えーかげんにしなさい!」

大原美術館入り口前での夫婦漫才を終えて入館。

絵を見るのは楽しいが、はじめのほうの部屋と最後に見た現代美術の部屋には、「どうしてこんなしょうもないものをならべるのだろう」という作品がいくつもあった。「現代美術」の場合はわかる。今話題になっている作者だからならべてるのだろう。

古い所蔵品の中にも、当時フランスで話題になっていただけというものがあると思う。解説に書いてほしい。

「昭和のはじめにパリで売れっ子の画家だったので買いましたが、今は忘れ去られた人です」

もちろん、パリで忘れ去られても、倉敷で見た誰かの気に入ることもある。
大原孫三郎さんはいいことしてると思った。