若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

反町茂雄『日本の古典籍』

著者は古本屋さんである。

普通の古本屋さんではない。
文化財」的古本を扱う。

日本には、質量とも世界に誇れる古い書物がたくさんあるようだ。
中国にも負けないらしい。

日本で一番古い書物は、聖徳太子の自筆と言われる『法華経義疎』で、7世紀前半のものだという。
奈良時代のもので残っているのは、多くのお経と戸籍で、ほとんどは正倉院にある。

奈良時代に写経ブームであんまりたくさんお経を書き写した反動か、平安時代に入ると写本は激減する。
平安時代の中ごろから、お経や中国の古典の写本にかわって『古今集』や『和漢朗詠集』などが増えるが、『源氏物語』などの物語は一冊も残っていないというのは不思議だと思う。

鎌倉時代の写本では、『源氏物語』と『伊勢物語』が圧倒的に多い。
この時代、藤原定家がありとあらゆる古典の写本を作らせ、定家のお蔭で残っているというもの多い。著者は、定家こそ日本写本史上特筆すべき偉人だと書いている。

本を書き写すのは大変だ。
鎌倉時代以降、武士が教養を身につけようとして歌論書や物語などを求めるようになった。
写本は、落ちぶれたお公家さんのいい収入源になった。

源氏物語』を書き写すのはつらい仕事だったと思うが、室町時代、三條西実隆は、二回も書き写して武士に売っている。
武士の名前も売った値段もわかっているそうだ。

もっと偉い人も写本で稼いでいる。
五摂家筆頭、関白左大臣、あらゆるお公家さんの中の最高の家柄の近衛タネ(むつかしい字)家という人が、大内家の家臣の依頼で写本を作っている。

大内家の家臣など、反町さんによれば、関白左大臣から見れば身分違いの下司下郎である。
つらかったか、カネになると思って張り切って書いたか、どっちでしょう。

左大臣というと思い出す。
次女が三歳くらいのことだ。
絵を描いていた。
ぶつぶつ言いながら描いている。

左大臣描こう」
唐突であるが、まあ三歳児ですから。

クレパスで描いていたが思うように描けなかったのだろう。
「ヘンな左大臣になったな〜」

しばし難しい顔で自分が描いた左大臣をじっと見ていた。
「・・・これ、左大臣の風船にしとこ」

左大臣の風船」という言葉を口にしたのは、世界でウチの次女だけではなかろうか。