若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

手術

朝のバス停で、いつもの老婦人と。

「おはようございます。わたし、今日は、堺筋本町の○○眼科に行くんです」
「は、はあ・・・」
「手術なんです」
「白内ですか」
「いえ、緑内・・・目の中のね、水が通る管がつまってて、眼圧があがるんです。で、管に穴あけるんです。穴あけるっていうから、なんか突き刺すのかと思ったら、レザーでね・・・レーザーでやるんですよ。15分ですむらしいです」

目の手術の技術は、めざましく進んでいるようだ。
母が、白内障の手術をしたのは、三十数年前のことだ。
大変だった。
手術後、一週間は絶対安静で、ベッドで頭の両脇に枕をおいて、できるだけ動かないように固定していた。
一ヶ月以上、入院していた。

市民病院で手術したのだが、担当の先生が名医と評判で、全国から患者が来ていた。
手術は、非常に細かい手仕事なので、先生は、日常、できるだけ手に負担がかからないようにしていると、母が言っていた。
新婚旅行でも、先生は一切荷物を持たなかったそうだ。

しばらくして、先生は、市民病院をやめて開業した。
母を車に乗せて通った。
患者が多いので、みてもらうのは一日仕事だと、よくこぼしていた。

ふと思い出すと、けっこう母を車に乗せて病院に通っている。
母が、腕があがらなくなったときがあって、その時は、「あそこがいい」という評判の、ハリや、整体の診療所に連れて行った。

う〜ん、母と二人で、というのは、あまり楽しい思い出ではないようだ。
ボケた母と散歩をしたり、車椅子を押したり。

ひとつだけ、いい思い出があるのだが、母が話してくれた、私がよちよち歩きのころのことなので、私の思い出とはいえない。

そのころ、淀川の近くに住んでいたらしい。
母は、毎日のように、私を連れて淀川のほとりに行った。
川に、アヒルがいたのだ。

「あんたは、アヒルを見るのが好きやったね〜」

母にとっての楽しい思い出だが、ボケてしまったので、私が預かっている格好だ。