梅田で人と会う。
電車の吊り広告。
「人形展」の広告で、無邪気そうな子供の人形の写真である。
たぶん、「なつかしの昭和30年代」的なものだろうと思ったら、そうだった。
モノはなかったが、夢や絆があったと書いてある。
こういう書き方をされると、誰だって「そんなことはない!」と言いたくなるというものだ。
モノはありましたよ。
母は、たくさんの包装紙をためていた。
百貨店のが多かった。
ひももためていた。
お菓子の缶の封に使ってあるセロテープもためていた。
我が家は、こういうモノがあふれていて、見ていると心が豊かになった。
梅田で、時間があったので、「ヨドバシ」に行った。
初めてである。
なるほど、大型店であるなとあきれた。
モノがたくさんあるとは思わなかった。
なんじゃこれは、と思った。
たとえば、ヘッドフォンがたくさんならんでいるな、とは思わない。
なぜ、こんなにもたくさんのヘッドフォンがあるのだ、と思う。
なぜこんなにたくさんスピーカーがならんでいるのか、と思う。
ヘッドフォンやスピーカーはまだよろしい。
私にも、見てすぐわかる。
なんだかわからないものがうじゃうじゃある。
なんだかわからないものがうじゃうじゃあると、ないのといっしょだ。
ヨドバシには、モノがあふれているのだろうが、私の脳からもあふれ出てしまって、結局、私にとっては、ヨドバシにはたいしてモノがないということになってしまった。
気の毒である。
気を落とさず、これからもがんばってほしい。