頭が混乱する時がある。
昨日は、いつものバスより遅いバスに乗った。
毎朝、6時57分に乗る。
昨日は、7時6分に乗ろうと思った。
いつもの老婦人はいないはずだ。
と思いこんでいたので、バス停に立つ彼女を見たとき、一瞬アレッ!?と思った。
いっしょに遅れるなんて、ボクたち、気があいますネッ!
なんだかうれしい気分で近づいたら、こちらを見た。
私を見る目が、彼女の混乱を物語っていた。
私を認識できないようだ。
彼女にとって、私は、「6時57分の男」なのだ。
私と、6時57分のバスが、彼女の内部で分かちがたく結びついている。
私は、6時57分のバスで行ってしまった人なのだ。
いるはずのない人間を見るボーゼンとした目。
いるはずのない人間が目の前に現れたのだから、混乱するのは当然だ。
若い私は、一瞬で修正、適応できたが、彼女は、高齢ゆえ、現実に適応できず、しばしもだえ苦しんでいた。
私だと理解できて、ほっとしたようであった。
一月ほど前、地下鉄難波駅でも、一瞬混乱した。
朝、会社の最寄り駅で、いつもいっしょになる中年女性を見かけたのだ。
この人は、私の会社の近くに勤めいるのだと思う。
駅を出て、しばらく同じ方向に進み、わが社の手前で右に折れる。
帰りもいっしょになることが多い。
その女性が、地下鉄難波駅で、バイオリンケースを持って歩いていたのだ。
私が、アレッ!と思うと同時に、むこうもアレッ!と思ったようだ。
「アレッ光線」が火花を散らした。
難波駅には大勢の人がいたが、私たちが、火花を散らしたことを知る人はないであろう。
さて、昨日、彼女は追い討ちをかけてきた。
会社帰りの駅への道で、彼女が駅のほうから歩いてきたのだ。
手には、スーパーの袋をさげている。
お勤め帰りという感じだ。
すれちがいざま、またも「アレッ光線」が火花を散らした。
どうなっているのか。
バイオリンは許せても、夕方、スーパーの袋をさげて駅から歩いてくるのは、許容範囲外だ。
今日はいったいどうしたんですか。
これから会社ですか。
残業の食料ですか。
それとも、こっちに引っ越したんですか。
これくらいのことは聞く権利がありそうに思うが、どんなもんでしょう。