自分の気持ちをわかってもらうのはうれしい。
心が通い合うのは、人間の大きな喜びのひとつだ。
今朝の電車で。
いつものように、ドアにもたれて本を読んでいた。
前に、二十代前半と思える若い女性が立った。
長い茶髪で、背が高い。
大きな紙袋をさげている。
白いプラスチックがごちゃごちゃ入っている。
なんだこれは、と思ってじっくり観察。
白いプラスチックの棒と板で作った家だ。
これは?
ぱっと浮かんだのは、夏休みの宿題の工作だった。
しかし、彼女はどう見ても小学生ではない。
次に浮かんだのは、この人は幼稚園の先生で、子供のために作った家だということだった。
それにしては、家が面白くなさすぎる。
ただの白いプラスチックだ。
子供のために作るなら、色とりどりの家がいい。
いったいこれはなんだろうか。
人をじろじろ見たり、持ち物をのぞきこんで、じっくり観察したりするのは、どうかと思う。
しかし、紙袋に入った白いプラスチックの家なら、じろじろ見ても許されるのではなかろうか。
と思って、遠慮会釈なくじろじろ見た。
あまり上手に作ってない。
張り合わせ部分が浮いていたり、柱が平行でなかったり、作りが雑である。
しかし、かなり精巧な物である。
「住宅見本」という感じだ。
なにか手がかりがないかと、あからさまにじろじろ見続けた。
床に置いたもうひとつの紙袋には、書類がいっぱい入っている。
その書類を開いてくれたら、何かわかるかもしれない。
こう思った瞬間、彼女はかがんで、ノートを一冊を取り上げた。
そして、私の前で開いた。
設計図が書いてあった。
説明も書いてあった。
ぱらぱらめくって、すぐまた髪袋に戻した。
感激した。
私の心が通じたのだ。
このおじさん、家の模型が気になってしかたがないのだな。
私が、こういう関係の学生だということを教えてあげよう。
ありがとう、おじょうさん。
私は思わず微笑んだ。
あたたかく心を通わせあった女学生と私を乗せて、難波行き準急はひた走るのであった。