若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

自画像実作指導

S君指導による自画像製作第二日。

まず、S君が鏡を前に描いてみせてくれる。
次に、私が彼のまねをして描く。
うまくまねができれば、彼のようにうまく描けるはずだ。

そう簡単にはまねはできません。
彼の描くのを見ていると、顔の動きが激しい。

鏡の自分を見ているなと思ったら、キャンバスの方を向いて筆を動かし、次の瞬間また鏡を見て、と思うまもなくキャンバスにというふうで、まあ、自画像を描いている画家というより、きょろきょろしている挙動不審の男という感じだ。

もっと落ち着いてじっくり見て描きなさい!といいたいところだが、相手はウチの子供ではなくS君だから、黙ってるほかない。

彼はそれなりの修行をつんでいるから、これでしっかり見ていることになるのだろう。
というか、たぶん、見ることと描くことが分離していない。
「筆で見ている」というような感じだろうか。

私は、そうはいかない。
鏡の自分をじっくり見る。

じっくり見ているつもりだが、見てないんでしょうな。
「観察力」はあるほうだと思うのだが、私の「観察力」は描くことと結びついてないようだ。
私は、筆ではなく、ことばで見るほうなのかもしれない。

とにかく、じっくり見てから、おもむろに、などともったいぶることはないが、キャンバスに向きなおって、これまたじっくり描く。
描いてる間、鏡の自分はほったらかしだ。
これではいけないと思います。
いけないと思いますが、そうなってしまいます。

S君は、自分で描きながら、あるいは、私が描くのを見ながら、いろいろとしゃべる。
それがおもしろい。
デパートの雑貨売り場でやってる、ハイテクスーパータワシ実演販売という感じだ。

鮮やかな手並みと弁舌で客を煙に巻いて売りつける。
S君は売りつけるわけではないが、煙に巻く手並みは一流、といえば聞こえが悪いが、指導力、説得力は一流だ。

学びて時にこれを習うまた楽しからずや、という気持ちになる。
教えてもらうのは楽しい。
はずである。

ヤマハでギターを習う時にも、そう思う。
学校で教えてもらうのも楽しいはずだと思うのであるが、どうなってるんでしょうか。

今まで描いたことのないような絵ができつつある。