若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

日本人のリテラシー2

江戸時代は、地方や身分によって、読み書き能力に大きな差があった。

身分は同じでも、大名にもいろいろあった。
まあ、そうでしょうな。

元禄時代に、「大名ミシュラン」みたいな本が出ている。
「かしこいお大名」とか「あほなお大名」が実名で出てくる。

岡山三十一万五千石の藩主池田光正は、学問好きの立派な殿様だったが、その子綱政は、読み書きもできない、バカ殿様だったらしい。
大名検定試験に通ってなるわけではないから、ありうることですね。

吉田松陰の話も楽しい。
吉田松陰は、なんか知らんが、有名な人だ。
幕末、勤皇憂国の志士たちに大きな影響を与えた、カリスマ的教育者、ということになっている。

1848年、若き松陰は、長州藩校明倫館において、山鹿素行兵学を講義した。
44日間の講義の受講申込者は28名。
それはよろしい。

一日平均出席者は4名、一番多い日で9名、出席者一人だけという日も何日もあった。
それが、カリスマ教育者?と驚くのはまだ早い。

このとき松陰18歳!

あのねー。(-_-;)
江戸時代って、不思議ですね。

著者、ルビンジャーさんは、江戸時代の読み書き能力を判定するのに、署名を使った。
自分の名前を、まともに漢字で書けるのか、ひらかなか、丸印か。
が、その方法はすぐ使えなくなった。
人々が、署名の代わりに印鑑を使い出したのだ。

元禄時代に、「印鑑登録制度」があったそうです。
署名するのに、手間隙がかかりすぎるからでしょうか。
墨をすって、筆を用意して。

上流農民は、教育は、子供に対する投資だと心得ていた。
カネを子供に残しても、使えば終わりだが、身についた知恵才覚には終わりがない。
「長者に二代なし」などという言葉もあったそうで、江戸時代も、結構、変化の激しい時代」だったようです。

村のセレブたちは、カルチャーセンターであるお寺などで、いろんな趣味を楽しんだ。

河内の国の壺井五兵衛は、セレブなかまと俳諧を楽しんでいた。
ところが、俳諧の人気が広まって、村人誰もがするようになったので、五兵衛はおもしろくなかった。

そこで、より高級な謡曲に乗り換えた。
これなら貧乏人はついてこれないだろうと思っていたのに、謡曲もポピュラーになってしまたので、大変腹を立てている。

江戸時代は、かなりのスピードで経済発展をしたようである。