若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

山本博文『徳川将軍家の結婚』

徳川将軍家の結婚問題について、とくに関心があるわけではないが読んでみました。

「徳川将軍の正室から生まれた将軍は、三代家光しかいない」

こう言われると、えっ!と思うが、大河ドラマを一生懸命見ていればわかっているはずのことなのだろう。
「家光だけ!?」と意外に思うのはボーッと見ている証拠だ。
これからは気合を入れて見よう。

江戸時代のお殿様関連の本を読むと、当時のお殿様とその周辺の人たちが、実に簡単にあっけなく次々と死んでいくのに感心する。
この本に出てくる人たちも、みんな面白いようにコロコロ死んで行ったようだ。

お殿様周辺でこれなら、百姓町人周辺ではもっと激しかったのか。
あるいは、当時のお殿様周辺がよほど不健康な暮らしをしていたのだろうか。

子供の数が多くて有名なのは徳川家斉だ。
この本に、家斉の子供53人の一覧表が出ている。
そのうちの25人が、「夭逝」と書かれている。
何才までに死んだのを「夭逝」としてあるのかわからないが、コロコロ死んでいったことが実感できる一覧表だ。

家光の時代の天皇後水尾天皇も、男17人、女18人という、ハデな子持ちだ。
11番目から18番目までの皇女の一覧表が出ている。

まあまあの死に方といえる。
26才、30才、30才、40才、49才、61才。
年が書いてない二人は、生まれてすぐ死んだのだろうか。

ただ、この一覧表で驚かされるのは、61才で死んだ人以外全員が、結婚せず出家しているということだ。
天皇家の娘の嫁入り先は、もともと見つかりにくいものだったのだろうか。
あるいは、当時お公家さんが落ちぶれていたから、周囲に適当な相手がなく、皇女の結婚状況としては最悪の時代だったのだろうか。
天皇の孫が増えるのを防ぐためだろうか。

自分の娘が続々と尼さんになるというのはどんな気分か。
早死にも尼さんも当たり前で、どうということはなかったかもしれない。

「え、こないだ生まれた子、死んだの?あ、そう」
「なに、若草寺に入って尼になる?いくつ?12才?まあいいでしょ」

それにしても、あらためて、天皇制を維持するというのは大変だと思いました。
前にも書いたけど、女性天皇くらいではダメですよ。
天皇になれる条件を大幅にゆるめて高貴なる候補者をふやし、その多くの高貴なる候補者と縁組できるような高貴なる家を増やしたうえ尼寺も用意する。

できるかな。