仙台ははじめてである、というか私にとって日本中どこもはじめてみたいなもんですが。
ケヤキ並木の立派さに感激した。
ウチの庭にもケヤキがあって植木屋さんに手を入れてもらってるが、二階の屋根を越す勢いで困ったもんだと思っていたのであるが、そんなちゃちなもんじゃない。
ケヤキというのは放ったらかしにしておくとここまで大きくなるのか。
いや、放ったらかしではありませんと仙台市から文句が出るかもしれんが、鮮やかな緑のトンネルはすばらしいものであった。
「洲之内コレクション」
絵は不思議だと思う。
美術の教科書に出てくるような絵はすばらしい。
腕前を見せ付けるというか才能を見せびらかすというか、美術の天才、巨匠たちが、堂々と、楽しく、力強く描きまくってるという気がする。
そんな気楽なものではないのかもしれないが、そんな気がする。
「洲之内コレクション」の絵の多くにはそういうところが全然ない。
困り果て、苦悶の末にしぼりだしたという感じだ。
何もそこまでして絵を描かなくても、といいたくなるようなのもある。
自画像も何点かあった。
私も自画像は何点か描いている。
家内が、なんかちがうという。
「洲之内コレクション」の自画像は、「面構え!」「面魂!」という感じがするという。
私のはボーっとした顔だ、と口には出さねど、そういいたいのであろう。
うまいこというなあ、と感心してる場合じゃないが、その通りだと思った。
絵と苦闘してる人たちの顔と、私みたいに気楽に描いてる人間の顔とちがっていて当然だ。
いいんです。
どうせボクなんか、とすねていてはダメだ。
「いやあ、気楽そうな顔だなあ!」と感動を与えるような自画像を描けばいいのだ。
描けんか。
「洲之内コレクション」を見て、以前見た「戦没画学生作品展」と雰囲気が似てるように思った。
「遺された絵」という感じだ。
見ているうちに困ってしまう。
絵を見て困ることはないと思うが、どうすればいいのか途方にくれる。
こういう絵には人を困らせるだけの力があるんでしょう。
飛んで行ったネウチはありました。