若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

衆議院選挙

今日は、これからの日本を大きく変えることになるのではないかといわれている衆議院選挙投票日であるが、きのう、それに優るとも劣らぬ重大な出来事があった。

次女が、女の子を出産したのだ。
私にとっては初めての孫で、ふつう初孫となると、衆議院選挙のことなんかほったらかして、そっちの話を書く人が多いと思うが、事には大小の別がある。
私的なことは二の次にして、公のことを第一に考えるのが私の主義なので、ここでは衆議院選挙について、思うところを述べたい。

とはいえ、衆議院選挙の投票は今日のことなので、順序として、きのうのことをほんの少しだけ書いておこう。

きのう、次女は、そろばんを使ったり、計算機を使ったり、紙に書いたりして計算した。

何が言いたいかというと、安産ではなかったと言いたい。

ええかげんにしなさい?
ホントにネッ。

安産か難産か、どこで決めるのか知らないが、私たちが待ちくたびれたのは確かだ。
次女の夫も、私たち夫婦も疲れ果てた。

きのうの午前3時ごろ、次女が異常を訴えるので、産院へ連れて行った。
午前中、順調に進行中との事で、助産師さんは、「今日中には生まれます」といった。

その後も順調とのことで、午後になると、「明るいうちに生まれるわ」との事で安心してたら、そのうち、「明るいうちどころじゃない、日の高いうちに生まれるよ」ということになった。

さあ、それからが長かった。
頭の位置がずれてるとかで、結局、おぎゃあと生まれでたのは9時前であった。

待っている私たちも疲れたが、次女はさぞかしと思ってたら、あっけらかんとした顔で、「疲れるとか何とかいう次元じゃなかったから」とのことでした。

きのう、待っている間、自分の子供が生まれるときより、今回の方が当事者意識が強いと思った。

自分の子供のときの方が、傍観者的だったように思う。
不思議である。
私の奥さんが私の子供を産むのだから、私は、当事者も当事者、大当事者だったのであるが、なんか、距離感があったように思う。

どういうことでしょうか。

家内もそうだ。
娘のお産なのか自分のお産なのかこんがらかっていたようだ。

私は、二人の産婦の間で右往左往していたが、そんなことはどうでもいい。
大事なのは衆議院選挙だ。