きのう、Nさんが亡くなったと聞いて驚いた。
殺されても死なないような人だと思っていた。
私より一つ年上で、四十年前に知り合った時は、税務署の職員だった。
私が大学を出て、二、三年目のころだ。
Nさんは、脱税調査の現場でバリバリ仕事をしていた。
世の中の、あるいは人間の、裏の裏まで知り尽くしたという感じのNさんは、私と一つ違いとは思えないすご味があった。
「すご腕」「やり手」「必殺仕事人」という感じの人だった。
しばらくして、「二年連続脱税摘発三冠王」という話も聞いた。
そんなものがあるかどうか知りませんが、Nさんなら、そうだろうと思えた。
親分肌で、清濁併せ呑む感じのNさんは、濁どころか清も呑めないような私から見ると、別世界の人だった。
脱税摘発の専門家として大活躍した後、管理職としても有能で、とんとん拍子に出世した。
税理士事務所を構えてからも順調だったようだ。
何度かいっしょに飲みに行ったくらいの付き合いだったが、印象は強烈だった。
仕事が仕事だけに、話は面白かった。
調査に行った先の社長が、カネはないと言い張るのを、銀行の貸金庫が怪しいとにらんで、無理やり引きずって行って、どやしつけて貸金庫を開けさせて、ぎっしり詰まった札束が出てきた話とか、色々聞いたが忘れてしまった。
Nさんにかかったら、少々のワルは、お陀仏ですよ。
Nさんがバリバリ仕事をしていたころ、税務署仲間でバーでワイワイ飲んでいた。
ママが来て、Nさんに、「あちらのお客さんが、ちょっと来て欲しいとのことです」と伝えた。
カウンターで一人で飲んでいたその客は、上方落語の大看板、今は亡き六代目笑福亭松鶴だった。
松鶴師匠は、Nさんに、「あんた、ウチに来んか」と言ったそうだ。
飲みながらNさんの話を聞いていたのだろう。
普通じゃない、というか、堅気じゃない、というか、まあ、そんな感じを受けたのではなかろうか。
そんなNさんが、肺がんであっけなく死んでしまった。
Nさんが、肺がん程度で死ぬかな。
不思議である。