犬が人をかんでもニュースにならない。
大臣が失言してもニュースにならない、と思うけど、なるんですな。
「死の街」は、鉢呂大臣が俳句か短歌を作るみたいな文学的表現として使ったのなら問題ないんじゃないでしょうか。
「放射能」は、鉢呂大臣が小学生低学年男子なら、ありそうな話だ。
鉢呂大臣が、定年後短歌を楽しむ高齢男性から小学低学年男子までという幅広い精神構造の持ち主であることはたしかだ。
いつも不思議に思う。
政治家、それも大臣にまでなるような人は、数々の修羅場をくぐり抜け、揚げ足を取られないよう逃げ場をなくさないようああ言えばこう言いして生き抜いてきた歴戦のつわものではないのか。
言葉には慎重のうえにも慎重のはずではないか。
それが、大臣になったとたんに気がゆるんで失言ということになるのかと思ってたけど、こうも続くとそうじゃなくて、政治の世界では何を言おうが責任を問われることはないので、もともとゆるみきった人たちなのかもしれない。
それにしても、揚げ足を取ろうと狙ってるやつらに囲まれてるという緊張感が足りませんね。
こういう人は商売の世界はつとまりませんよ。
小さな機械メーカーの社長を知ってるんですが、この人は無口でした。
機械について詳しいのだけど、知識を披露しない。
アドバイスもしない。
言われたことだけをする。
はじめ、不親切な人だと思ってたけど、親切心からでも余計なことを言ったらとんでもないことになると身に染みてたんでしょうな。
余計なことは一切口にしない。
立派な人生哲学です。
大臣失言で、「オフレコ」というのが問題になります。
新聞記者に、「これは記事にしないでね」というお約束のようです。
これ、おかしい。
相手は記者でしょ。
かぎまわりほじくりまわって派手に報道するのが商売でしょ。
「オフレコだよ」というのは、身内に通用する話だと思うんですが。
野球の投手が、打者に向かって、「次、直球を投げるけど、打たないでね」とお願いするみたいなもんですよ。
政治家と記者の「オフレコ廃止」というか禁止。
さて、わが朝日新聞である。
こういう「失言問題」の時、いつもせこいと思います。
はじめは大々的に報道しないんですよ。
小さな囲み記事でちょろっとのせる。
「動物園でライオンの赤ちゃんが生まれました」的扱いです。
大臣発言を紹介して、「この発言が波紋を広げそうである」てな書き方をするんですね。
騒ぎが大きくならないかなあ、みたいないやらしい書き方です。
問題だ!と思うなら大々的に報道して、大臣やめろ!と書くべきでしょう。
しっかりせー!