1歳になったばかりのあきらくんは、積極的です。
ハイハイして階段の下に来ると、何のためらいもなくのぼりだす。
ほんと、ためらわないです。
こんなことでいいのか、と思うほどためらいがない。
2階へ続く階段を見上げて、た、高いな、ボクにはまだムリかな、とか、危ないかな、命綱をつけたほうがいいかな、とか、保険に入ってからのほうがいいかな、とか考えてる様子はないです。
すたすたのぼっていく。
ソファにものぼる。
必死でのぼろうとする。
これはなんですかね。
「アホと煙は高いとこへのぼる」と言います。
高いとこは危ない、という教えですね。
そういう教えがあるのに、なぜのぼる。
いや、ほっとくとのぼるから、そういう教えが必要になるのか。
で、なぜのぼる。
ホモサピエンスとしては、危険を冒しても高いとこへのぼったほうがトクだったんでしょうかね。
しかし、それならエベレストの頂上は縄文時代から人でいっぱいです。
あきらくんで不思議なのは、ドアとか引き出しの取っ手があれば、絶対につかんで引っ張ることです。
ホモサピエンスは、取っ手があればつかんで引っ張るようにできている。
う〜む・・・旧石器時代に引き出しの取っ手なんかあったのかな。
旧石器時代にはあったかもしれんな。
石のタンスとか石の食器棚とかあったかもしれん。
石の家に石のドアがあって石の取っ手がついてたかもしれん。
重たかったと思うが、旧石器時代に生きた人の宿命だ。
旧石器時代以前はどうか。
取っ手はないんじゃないでしょうか。
人間の手は、取っ手をつかむようにできている。
取っ手は、人間の手でつかんでもらうようにできている。
人間は、階段を見たらのぼりたくなるようにできている。
階段は、人間にのぼってもらうようにできている。
阿吽の呼吸というやつですね。
合言葉みたいといってもよろしい。
山といえば川。
階段といえばのぼる。
取っ手といえばつかむ。
階段も取っ手も、人間がいなければさびしいもんだし、人間も、階段や取っ手がないと困る。
持ちつ持たれつである。
ウチの階段も取っ手も、あきらくんがいてよかったと思う。
↓よかった?そうかなあ、という表情のあきらくん。