きのう、県立の病院に行って、予定より大幅に時間がかかってしまったので、家に連絡しようと思って公衆電話を探しました。
こういうときだけ、ケータイを持ってない不便さを感じます。
一生に一度か二度ですよ。
探したけど、見当たらない。
で、放射線科の受付の女性に聞いたら、「あ、そこのエレベーターホールにあると思います」
行ってみたけど、ありませんでした。
で、耳鼻咽喉科の受付の女性に聞いたら、「公衆電話・・・?ないと思います」
いや、あるでしょ。
どこの病院にも、タクシーを呼ぶのにありますよ。
探し歩いてたら、守衛室の前に黄緑色の電話が見えたので、ほっとして近づいたら、「故障中」という張り紙。
中のおじさんに、「公衆電話、ないですか」と聞いたら、笑って、「目の前にありますよ」
故障中というのを気にしてないんですね。
というか、公衆電話を気にしてない。
結局、正面玄関にありました。
いやあ、公衆電話、影薄いですね。
一昔前は、日本を支える縁の下の力持ち、苦しい時の公衆電話、何はなくとも公衆電話、国民の心の拠り所、最後の砦、日本国民統合の象徴というような感じでしたが。
今や、公衆電話は、末期の足利将軍家という感じでしょうか。
それを探し歩いた私は信長か毛利か上杉か?
そんなええもんとちゃいますな。