これは事件といっていいかもしれません。
ウチにお坊さんが来たんです。
ウチは神道なんで、史上初と思います。
神道の我が家になぜお坊さんが来たかというと、神道から仏教への乗り換えキャンペーン実施中!今ならおトクな、というような罰当たりな話じゃない。
先日亡くなった家内の父親の法要です。
事情があって、ウチに遺骨があるんです。
事情と言っても、複雑な事情じゃない。
単純な事情なんで心配無用。
そろそろ自分の葬式のことを考えなければならん。
神道式でやるのも気が進みません。
神棚に私の親がいるとも思わんし、墓にいるとも思いません。
私の記憶の中にいるというべきか。
両親のことをいつか忘れるかもしれない。
死ぬまでおぼえてるかもしれない。
伯母の日記に、母親の命日を忘れたときのことが書いてありました。
伯母は、小学5年生の時に母親を亡くして、その後の日記には、毎年「今日は母の命日だ」と書いてました。
30歳を過ぎたころ、「母の命日を忘れていた」と書いてます。
衝撃とさびしさがあったのだろうと思います。
忘れた方がいいのかもしれない。
いいとか悪いとかいう問題じゃないかもしれない。
カレンダーに書いておくといいかもしれない。
先日、週一度の自治会の防犯パトロールの時、パトロール隊長が現れなかった。
しかたないので出発して、途中で隊長の家に寄ったら、「忘れてた!」
「カレンダーに書いとかないとだめですよ」
「書いてるよ!」