『夜明け前』再読開始。
11月に読んだとこですが、その時代についていろいろ勉強してもう一度読んでみようという殊勝な心掛けです。
明治維新や宿場や木曽の山林について勉強しました。
正直なとこ、勉強してよくわかったとは言えない。
余計にわからなくなったという方がいいかもしれない。
で、覚悟はしてたんですが、11月に読んだとこなのにおぼえてないもんですね~。
はじめのほうはおぼえてるけどだんだんあやしくなって「第一部下」に入るとほとんどおぼえてません。
これで「再読」と言えるんか。
疑問を感じつつ読み進めてます。
時代の勉強のためあれこれ読んでみて、学者というのは大変だなあと感心しました。
庄屋さんの家にあった文書を読まなければならない。
それだけでも大変だと思います。
それを藩の文書と照らし合わせる。
一致しないことが多いそうです。
現実はどうだったのかわからない。
まあ、そんなもんでしょうね。
現実をすべて書けるわけがない、書いてあることがすべてではない、ほんとのことを書いてるわけじゃない。
学者が村に調査に行って、村の人から「慣行ではこうなってます」と言われて「どこに書いてあるんですか」と聞いたら「書いてないのが慣行なんですよ」と言われたそうです。
『夜明け前』は歴史、経済、法律などの学者の間でも取り上げられてるそうです。
小説をそういう学問の対象にするのはおかしいという学者もいます。
再読どころじゃなくて話がだんだんややこしくなる。
「宿場」「山林経済」からはじまって「文学とは何か」までひろがってくる。
ひろがってくると気が楽ですよ。
そのうちなにをやってるのかわからなくなっておしまいです。
わかった!と思ってるうちはまだまだダメだ。
何を書いてるのかわからなくなったのでやめます。