スエーデンの環境活動家17歳女性グレタさんの名前をよく見ます。
「新聞やテレビで彼女のことを『グレタさん』というのはおかしい」という人がいて、はじめ何を言いたいのかわからなかったけど説明を聞いてわかりました。
「グレタさん」というのは名前だと言うんです。
「グレタさんは国連で地球温暖化について語った」
「晋三くんは国会で『桜を見る会』について語らなかった」
なるほど、おかしい。
グレタさんの苗字を知りませんでした。
「トゥンベリ」だそうです。
インターネットで海外での報道を見ると、書き出しは「グレタ・トゥンベリは・・・」で、あとは「トゥンベリは・・・」になってます。
たしかに苗字を使うのがふつうですね。
「グレタさんと呼ぶのはおかしい」と言った方は、そういう言い方をするのは日本で男が若い女性を軽く見ているからだと言うんですが、私にはピンとこないけどそうなのかもしれない。
外人の名前でカタカナだからわかりにくくなってると思います。
「グレタさんは」と聞いて、「名前だ」と思わない。
外人だ、と思う。
私の国際感覚というか名前感覚というか、まあ遅れてるんですね。
日本の大人が名前を呼んだり呼ばれたりすることはふつうではないでしょう。
「シンゾー!」
「ドナルド!」
ハグする。
気持ち悪い。
思いつくのはこれくらいです。
奈良に引っ越す前に住んでいた東大阪市の自宅付近では名前で呼ばれることがありました。
私を子供のころから知ってる近所のおじさんやおばさんに名前で呼びかけられるのはまあいい気分でした。
あれこれ考えるとやはり「トゥンベリさん」と言った方がよさそうです。
名前ひとつでこれですから私の国際化は大変です。