イギリスの言語学者デビッド・クリスタルさんの『WORDS WAORDS WORDS』、いよいよおしまい近く「言葉の楽しみ」。
言葉の役目は伝達だけど人間は言葉遊びも楽しんできた。
イギリス人は「言葉遊び」が大好きだそうです。
ぱっと思いつくのはクロスワードパズルくらいですがいろいろあるみたい。
新聞や雑誌、インターネットでは賞金付きのパズルがたくさんある。
たとえば「e」を使わないで文章を作りなさいというような問題が出る。
「q」を使わないのは簡単で、「e」抜きが一番むずかしい。
上級クラスになると、「e」を使わないでハムレットのあらすじを書きなさい、というような難問が出る。
1939年、E.V.ライトという作家が「e」抜きの5万語の小説を発表してるそうです。
すごいと思うかアホかと思うか難しいとこです。
言葉遊びの一つが「だじゃれ」です。
私はどちらかというとだじゃれが好きな方かな。
自分の経験からすると「だじゃれ」というのは言うのは楽しいんですが言われるとかっくんとなる。
これ、不思議。
だじゃれを言った人に対する信頼が崩れる感じ。
もちろん、私みたいにすでに揺るぎない信頼を確立した人間はだいじょうぶ。
と思います。
いずれにせよ周囲にだじゃれ好きがいないのはありがたい。
クリスタルさんによれば、イギリスでは昔からだじゃれに対する批判が絶えなかった。
17世紀を代表する詩人ジョン・ドライデンは「だじゃれを言うにも頭を使うが、人間として最低の頭の使い方である」と言ったそうです。
エドガー・アランポーは「だじゃれの効用は気まずい雰囲気を作り出すことにある。いいだじゃれほど気まずさが増す」と言ってます。
クリスタルさんは「だじゃれはイタイ楽しみである」と言ってます。
もっともな意見ばかりである。
しかしクリスタルさんによればシェイクスピア劇はダジャレの宝庫である。
シェイクスピアを持ち出されたらだじゃれ論争も終わりである。
クリスタルさんは英語のだじゃれの例もあげてるんですがピンときません。
「キャットcat」と「カタログcatalogue」がだじゃれ?
アメリカ人にはだじゃれの才能がないとも言ってます。
フランス語とドイツ語ではフランス語のほうがだじゃれに向いてると言ってます。
フランス語もドイツ語も知らないけどそんな気がするのが不思議である。
だじゃれのない言語はないそうです。
だじゃれというのは礼儀作法を無視し、何のネウチもなくばかばかしくへんてこである。
人類はそういうのが好きなのである。
だじゃれには時と場合がある。
親しい人とのくつろいだ時間、それがだじゃれの出番。
そういう場ではイタくてもかっくんとなっても気まずくてもいいじゃないかとクリスタルさんは言いたいのだと思います。