アメリカ合衆国第4代最高裁長官で合衆国司法の父と言われるジョン・マーシャルの伝記を読んでますが合衆国司法に関心は持てずヘンなことばかり印象に残る。
アメリカ建国の父たちは「逆玉君」が多かったとか。
ジョン・マーシャルは25歳で弁護士になってます。
「奮励努力して年に1000ポンド稼げるようになった」と書いてあるんですが、アメリカは独立してもポンドを使ってたんですかね。
いつからドルになったんでしょう。
1000ポンド稼ぐのはホントに大変だったみたい。
弁護料を10ポンド払ってくれるような依頼人は年に数人だった。
1ポンドから数ポンドの客がほとんどだった。
ということは何百人をさばかなければならない。
逆に言えばそんな小さなことでも弁護士が必要だったんですね。
青年弁護士ジョン・マーシャルは、事務所に依頼人がやってくると、「どうかこの人が金を持ってますように!」と祈ったそうです。
大金持ちの娘と結婚したのは良かったけど、気の毒な話ですが奥さんは最初の子を亡くして精神的におかしくなってしまった。
ちょっとした物音にもおびえるようになった。
ジョン・マーシャルは家に帰ると入り口で靴を脱いでスリッパにはき替えて抜き足差し足で歩いたそうです。
バージニア州の首都リッチモンドに住んでたんですが、クリスマスが近づくと町が騒がしくなるので奥さんを連れて静かな町に逃げ出した。
1800年ごろのリッチモンドのクリスマスはよほど騒々しかったようです。
ジョン・マーシャルは毎晩のように夜中になると家を出た。
夜中に家を出て何をしたのか。
近所をうろついてモ~モ~鳴いて奥さんの安眠を妨げる牛を追っ払ってたんです。
夜中にリッチモンドの住宅街をうろつく牛?
リッチモンド市では時間を知らせる鐘を鳴らしてたんですが、ジョンが最高裁判所長官になってからは奥さんを気遣って鐘を鳴らすのをやめたそうです。
最高裁長官になってもジョン・マーシャルは服装には無頓着で、いつもしわしわのよれよれだった。
そんな恰好で毎朝散歩して、帰りに農民の朝市に立ち寄って野菜なんかを買って帰ってた。
朝市でそんな姿を見て「気の毒なおじさん」と同情した人がいた。
野菜を抱えた最高裁長官ジョン・マーシャルに「おじさん、おれの買った七面鳥を家まで運んでよ。お礼はするから」と言って七面鳥を持たせた。
ジョン・マーシャルはしかたなく男の家まで七面鳥を運んでお礼のコインをもらった。
この話はあっという間にリッチモンド中に広まったそうです。
こういう合衆国司法と関係ない話ばっかりに目が行く。