朝日新聞に俳人の長谷川櫂さんが「稲畑汀子さんを悼む」を寄稿してます。
「稲畑汀子は『闘う人だった』」という書き出しが意外でした。
稲畑さんが高浜虚子の孫で「ホトトギス」の主宰者であることは知ってました。
おっとりした人と思ってました。
まず「ホトトギス」内部で「有力門弟たち」と闘わなければならなかった。
外部では「新興勢力」と闘わなければならなかった。
「現代俳句協会」と「俳人協会」に対抗する組織を作ろうと思った。
作りたいなら作ればいいじゃないかと思うのは素人の浅はかさで、俳句の世界か「ホトトギス」の世界か知らんけどややこしかったみたい。
で稲畑さんは作戦を練った。
奈良若草山の旅館で「極秘会議を開いた」そうです。
長谷川さんはその様子を稲畑さんから聞いた。
「平家打倒を企てる鹿ケ谷の陰謀のように、若草山の密議の手に汗握る話を聞きながら」というんですが、字面からして「若草山の極秘会議」「若草山の密議」はかっくんとなる。
若草山を知ってるともっとかっくんとなる。
若草山と言っても芝生の山というかはげ山というか、というより丘ですよ。
極秘も密議もクソもなくアウトドアのオープンの丸見えで、密議より幼稚園の遠足に最適です。
もうちょっと密議にふさわしい場所なかったんかなと思いますがそこが花鳥風月の「ホトトギス」流かな。