「ミッションインポシブル」はテレビや映画のタイトルで「不可能任務」とでもいうんでしょうか。
「できるわけないやろ!」と言いたくなるような命令を受けてがんばる話。
アメリカの軍人ルシアス・クレイの伝記を読むと「ミッションインポシブル」の人です。
若いころダム建設を命じられて名を上げ、ミシシッピ川大洪水の処理を任されて名を上げ、第二次大戦で武器弾薬の製造を任されて名を上げた。
米軍だけではなく連合国軍が必要とするすべての武器弾薬を製造して必要とする戦場に届けろというミッションインポシブルその1を見事にやってのけた。
凄腕を見込まれてドイツ占領軍の最高司令官としてドイツ再建につくした。
ソ連のベルリン封鎖に対抗して200万の西ベルリン市民の食糧石炭などを空輸するという誰もが不可能と言ったミッションインポシブルその2を成功させた。
クレイがベルリンを去るとき50万の市民が沿道と空港で見送った。
帰国後は中堅缶メーカーの経営を任された。
業界で万年2位の会社を瞬くうちにトップ企業にした。
スケールは小さいけどこれもミッションインポシブルその3。
かつての上官アイゼンハワーを大統領選に担ぎ出し当選させた。
ケネディ政権になって政界での出番はなくなったと思われたが1961年ケネディ大統領からホワイトハウスに呼び出された。
ソ連がベルリンの壁を築いて西ベルリン市民はアメリカに見捨てられたとパニック状態に陥りベルリンからの脱出が始まっていた。
打つてがなく頭を抱えるケネディに「クレイをベルリンに派遣しろ」と助言する人がいた。
ドイツ通のその人は「今のドイツ人にとってクレイはフリードリヒ大王の2段上の英雄です」と言った。
ケネディがクレイを呼んで「共和党支持者のあなたに頼むのは気気ひけるが」というとクレイは「共和党であれ民主党であれ合衆国大統領の命令とあれば全力を尽くします」と答えてケネディを泣かせた。
クレイがベルリン空港に着くと数十万の大歓迎を受けた。
「アメリカはベルリンを見捨てない」というクレイの一言で民心は落ち着いた。
ミッションインポシブルその4。
1962年12月24日の朝6時、クレイ夫妻はワシントンの息子の家でクリスマスを過ごすためニューヨーク空港にいた。
電話だというので出るとロバート・ケネディ司法長官だった。
カストロ政権打倒を企てて大失敗に終わったキューバ上陸作戦の捕虜釈放の問題を相談された。
アメリカ政府が5000万ドルを払って12月23日に釈放されるはずだったのに当日カストロがもう300万ドル要求してきた。
数時間のうちに裏金を用意しなければ捕虜と家族のクリスマスの歓喜の再会が実現できない。
捕虜釈放の交渉に当たっていたアメリカ赤十字の副総裁が「そんな大金を一晩で用意できるのはクレイしかいない」と司法長官に助言した。
「引き受けてくれるだろうか」
「司法長官の依頼ならクレイの答えはただ一つ『イエス・サー』ですよ」
司法省に駆け付けたクレイは「イエス・サー」と答えて知り合いの銀行経営者に頼んで無担保無保証で300万ドルを借りてカストロの口座に振り込んだ。
翌日息子の家にいたクレイをケネディ大統領が訪問して感謝の言葉を述べた。
ミッションインポシブルその5。
なんかかっこよすぎると思うんですけど・・・。