昭和21年生まれの私にとって「進駐軍の兵隊さん」は記憶があるようなないような頼りない感じです。
「天王寺公園で進駐軍の兵隊さんに抱き上げられた」と言うのは私の記憶なのか親から聞かされた話なのかぼんやりしてるんですが、その時兵隊さんが提げてた皮製のカメラケースが大きなチョコレートに見えたというのは実感として残ってます。
浜寺の海水浴場に米軍キャンプができててその上に橋がかけてあって橋を渡って海水浴に行ったのはおぼえてます。
我が家に手回し蓄音機とSPレコードが2、30枚あった。
その中の「愛国行進曲」をかけてたら母が「そんなものかけたらエムピーが来るよ」と言った。
「エムピー」というのは「ミリタリーポリス」のことで、子供に対する脅し文句になったんでしょうね。
進駐軍の兵隊さんの帽子を新聞紙で作って喜んでた。
こんなのです。
東大阪に住んでた男の子である私にとって「進駐軍の兵隊さん」と言うのはなんか牧歌的と言うかのんきというかそんな響きの言葉です。
戦争に勝って日本に来てぶらぶらしてる気楽な人たちという感じかな。
アメリカの元軍人で政治学者のアンドリュー・ベースプッチの『幻影の時代』に「進駐軍の兵隊さん問題」がでてくる。
戦争が終わったときアメリカ政府は2、3年かけて段階的に召集を解除する計画だった。
しかし、大げさに言えば1942年9月2日、日本の降伏文書調印と同時にアメリカ合衆国軍は一瞬にして解体したと言っていい。
階級に関係なく兵士たちが「早く家に帰らせろ!」と叫び、家族たちも「早く家に帰らせろ!」と叫び、兵士たちは勝手に帰り始めた。
アメリカの歴史上例を見ない大規模な「命令無視」であった。
指導者がいたわけではないし組織だった動きでもなかったが政府はなすすべもなく、半年後には四分の三が軍籍を離れ、十か月後には戦時動員はほぼすべて解除された。
ドイツ占領の最高司令官ルシアス・クレイの伝記にも同じ問題が出てきます。
アメリカのドイツ占領軍の兵士たちが帰国させろと言うデモを行ってるんです。
占領軍兵士の実態を報道する記事が家族たちの不安をあおった。
「ドイツにいる兵士たちはろくなことをしていない。ヤミ市で金もうけに走るか女を追いかけるか。アメリカの恥さらしだ」
規律の乱れにアイゼンハワーも頭を抱えてた。
それでもドイツのほうが日本よりましだったそうです。
気楽な兵隊さんと思ってたことをお詫びします。