高校美術部の一年先輩で部長だったgicchonさんが亡くなって、美術部時代のことを思い出そうとしてたいして思い出せないのは残念です。
いろんなことがあったはずなのに。
「絵を描くのがちょっと好き」程度でした。
クラブに入るとしたら美術部かなと思ってた入学間もないころ廊下で声をかけられた。
「キミ、ラグビー部に入らんか」
私に一番向いてないクラブですよ。
あまりのショックにいまでもその人の顔と髪の毛が茶色かったのをおぼえてるほどです。
「い、いや、ぼくは・・・」「背が高いしだいじょうぶ!」と熱心に勧誘されるのを振り切って逃げてなかったら一人前のラグビー部員になってた可能性はゼロ。
勧誘を振り切ってホッとして歩いてたらまた声をかけられた。
「キミ、美術部に入らんか」
地獄に仏の思いで声をかけてくれた美術部副部長格のYさんについて部室に行くと「入部届」みたいなのにサインさせられた。
大変なことのように思えて緊張しました。
最初に30号大のベニヤ板を渡された。
水彩で画用紙にしか描いたことなかったんですが高校一年生、「ちょっと大きいな」くらいしか思いませんでした。
今30号は巨大に感じます。
指導はなかった。
先生の指導も先輩の指導もなし。
「勝手に描け」が基本でした。
美術室にイスとかテーブルとか花瓶とか荷車の車輪とか雑多なものが置いてあってそれを適当に組み合わせて描いた。
新入部員みんな静物画の中でA君が鶴を描いたので変わった男だなあと感心しました。
部長になって凄みのある絵を描くようになりました。
7月の「新人展」を目指して美術室で制作に励んでたら「高齢男性」が現れた。
「こんな年寄りがなんの用だろうか」と思ったんですが、私より一回り上の先輩Nさんであった。
Nさんが「新人展」用のポスターを描いた。
Nさんが美術部のドンであることは徐々にわかってくる。
「新人展」とはどんなものかと思ってたら廊下に並べるだけでした。
部長のgicchonさんに何を言われたとか一切浮かばないんですが本当に「勝手に描け」だったんだと思います。
顧問のS先生の言葉でおぼえてるのは「床を汚すな」くらいかな。
もちろん先生をあざ笑うように汚れまくってました。