若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

仲宗根美樹『雨の花園』

仲宗根美樹は1960年歌手デビュー、1961年発売の『川は流れる』が100万枚突破の大ヒットになって1962年紅白歌合戦初出場。

 

『川は流れる』爆発的大ヒット中の1962年に高校生になった私はそのことははっきりおぼえてるけどそれ以外は知らない。

それなのに突然仲宗根美樹が気になりだした。

 

亡くなったgicchonさんのことを思い出してたからです。

gicchonさんは私の高校美術部の一年先輩で部長だった。

 

第一印象は「頭のよさそうな人」。

そして顧問の先生がgicchonさんに一目置いてると感じた。

 

まじめな模範的優等生なんだろうなと思いました。

その通りでした。

 

ところがgicchonさんのことを思い出しても「まじめで模範的優等生」が出てこない。

私がしょーもないあほなことを言ってgicchonさんが笑ってる顔が出てくる。

 

gicchonさんは非常にまじめな人だったけど、しょーもないあほなことをおもしろがる人だったんだなあと改めて思いました。

gicchonさんを笑わせようとあれこれ考えたもんですがどれもしょーもないことだから思い出せない。

 

その一つが仲宗根美樹の歌だったことを思い出した。

美術部では夜遅くまで絵を描いてました。

女子はたしか8時までと決まってて、男子がバス通りまで送っていくといううるわしい習慣があった。

どんなに遅くなっても美術部員が美術室の鍵を閉めて校務員室に戻すだけだった。

当時の大阪府立高校の管理はどうなってたんでしょうか。

 

夜遅くまで描いてて途中喫茶店に行ってまた美術室に戻って絵を描くこともあった。

学校の裏門を出たすぐの喫茶店で仲宗根美樹の曲がよく流れてた。

『川は流れる』ではなかった。

 

で、その曲をおぼえてしまって、美術室で私が替え歌というかネタにして仲宗根美樹のうなり節でgicchonさんを笑わせた。

ただ大げさにうなるだけのしょーもない芸なんですがgicchonさんはくすくす笑った。

 

その曲が何だったのかと思ってウイキペディアで調べたんですがわからない。

で、ユーチューブで調べたらすぐ『雨の花園』だとわかった。

仲宗根美樹さん、うなってます。

 

発売当初『川は流れる』は『雨の花園』のB面だったんですね。

B面大ヒットというのはたまに聞きますがあの喫茶店ではB面ばっかり流してたのか。

いや、『川は流れる』は聞きあきていたので『雨の花園』が記憶に残ったんでしょうね。

 

gicchonさんのおかげで60年ぶりに『雨の花園』を聞きました。

家内にうなって聞かせたらぶぜんとしてました。

gicchonさんには受けたのに。(-_-;)