きのう書いた「まあちゃん」は「ガキ大将」だったと思います。
「ガキ大将」は今や死語でしょうか。
私の子供時代の記憶は「ちゃりんぼ」時代から始まる。
「ちゃりんぼ」も死語かな。
「ちゃりんぼ」というのは、おにごっことかかくれんぼとかの遊びに混ぜてもらうけどつかまっても鬼にならなくていいという特殊な身分で、小学生未満だったと思います。
子ども世界の共通ルールのようですが地域によって呼び名がちがうみたいです。
ちゃりんぼ時代、暗くなって外でみんなと楽しく遊んでると母が呼びに来る。
「なんでボクだけ」と納得できないまま手を引かれてとぼとぼ帰った。
鬼ごっこをしてて私が鬼につかまりそうになったとき、まあちゃんが私を小脇に抱えて走って逃げてくれたことがある。
小脇に抱えられた感触をおぼえてましたがその感触がほとんど消えてしまったのは残念である。
ちゃりんぼ時代野球もしました。
野球と言っても野球じゃない。
一塁と三塁だけで三振もフォアボールもなし。
何人でやるかも決まってない。
あるときよほど人数が足りなかったようで私がピッチャーをさせられた。
野球のやの字も知らないころです。
投げたらぽ~んとフライが上がった。
ピッチャーフライです。
ぼ~っとボールを見あげてたら後ろから黒い影がばっと突進してきたかと思うとダイビングキャッチ!
三塁を守ってたまあちゃんであった。
かっこいい!と感激しましたがその感激が単なる記憶のかけらになってしまったのも残念である。
まあちゃんはいわゆる「ガキ大将」だったんだと思います。
ちゃりんぼの私にとって高学年男子というと屈強な大男という感じでこわかったんですがまあちゃんだけはこわくなかった。
口をきいた記憶もないんだけどなんとなく「守ってくれる人」という感じだった。
そのまあちゃんもいつの間にか私の視界から消えていった。
彼らが消えていくときなんのあいさつもない。
お別れの会もない。
送辞も答辞もない。
次にまあちゃんの名前を聞いたのはそれから数年後です。
母が「あの子、中学を出て働くんやて」と言ったんです。
まあちゃんとはそれが最後です。