若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

コロナ中間報告

コロナ中間報告にはまだ早いんでしょうか。

振り返るにはまだ早い。

今、どんな時期でしょうか。

 

コロナの身になって考えるのもいいかもしれない。

一応の手ごたえを感じてる時期かな。

勝って兜の緒を締めよ、緒戦の成果におごることなく長期戦に備えよ!

 

ちがうかもしれない。

『ユーはどうしてニッポンへ?』のレポーターが成田空港で突撃取材。

「すみませ~ん、今日はどちらから?」

武漢です」

「お名前を聞かせていただけますか」

「コロナです」

「ほほ~、中国のかたにしては珍しいお名前ですね。お仕事ですか?」

「仕事と観光を兼ねて・・・」

 

ちがうかもしれない。

「ここどこ?え、え~~~~っ!ス、ス、スペイン!なんで~・・?」

ぼーぜんとするコロナさん。

 

コロナの身になるのは無理かもしれない。

 

安倍首相にとっては最悪のタイミングでしたね。

春節千客万来熱烈歓迎のキンキラキンの旗を激しく振ってる最中だった。

ネギがカモしょってやってくる、じゃなかったか、そんなことどうでもええわ、とにかく団体様ご案内~~~!いらっしゃいませ~~~!と目をぎらつかせてよだれを垂らして待ち構える目にチラチラ映るのは習近平様のお顔、え~っと、こっちは4月やったな、熱烈どころじゃなくアッチチ歓迎でえらいこっちゃと思う間もなくトンネルのじゃなかった、7月にはバッハ様率いるオリンピック御一行様がうじゃうじゃと、もうどないしましょ、札束が、いや、インバウンドかなんかしらんけど未来は明るくバラ色と黄金色に光り輝いておる!バラ色と黄金色でっせ!目がくらんで倒れそうになりながらも、オリンピックのあいさつどうしよう、え~っと、オリンピック東京大会に際しまして国民の皆様に丁寧にご説明、い、いや、何でオリンピックの開会式でモリカケサクラの言い訳せんならんのじゃ、え~っと、アスリートの皆さん、スピード感を持って走って下さい、これや!これでいこ、とあれこれ考えてるところに、「首相、お客様です」

「だれ?」

「コロナ様とか・・・」

「だれやねん。このくそ忙しのに相手してられるかいな」

 

タイミング悪かったと思います。

 

 

 

なつかしのガソリンスタンド

ガソリンスタンドがなつかしい?

 

本が届きました。

アメリカの古本で『アメリカのガソリンスタンド』という本です。

一瞬、こんな本頼んだかなと思いました。

以前、『オズの魔法使い』の作者が書いた『ジェーンおばさんの姪』シリーズを読みました。

その中で大金持ちのおじさんが自家用バスで旅行するのに、ガソリンをタンクに詰めてバスに積んでいく場面があったんです。

1910年ごろの話です。

う~む、当時のアメリカのガソリンスタンド事情はどうなってたのかと思ってアマゾンで調べててこの本を見つけたんです。

注文したのを忘れてました。

 

アメリカのガソリンスタンドの歴史の本かと思ったんですが、ちょっとちがいました。

序文にこんなことが書いてあります。

「わたしたちベビーブーマー(日本でいう団塊の世代ですね)もすでに中年である。経済的余裕もできて一息ついたらやたら過去がなつかしくなった。若かった頃を思い出させるようなものがほしい!『なつかしの〇〇』の大ブームである。コカ・コーラ関連のグッズを集める人、宣伝チラシを集める人、そりを集める人・・・」

 

「そりを集める」というのがわかりにくいですが、アメリカでは子供の雪遊びが盛んだったようです。

その「なつかしの〇〇」のなかにガソリンスタンドも入ってるんです。

「子供のころパパやママとドライブした日のガソリンスタンド・・・」

さすがアメリカです。

 

私なんか、子供のころのガソリンスタンドの思い出と言うとひとつだけです。

小学校3年生だったか4年生だったか、授業中、ドッカ~ン!と爆発音が聞こえた。

学校の近くのガソリンスタンドで爆発事故があったんです。

それだけ。

なつかしくもなんともない。

 

1905年ごろ、アメリカで自動車は「なんとか使い物になる」という感じだったようです。

金持ちの道楽から、徐々に普通の移動手段になってきてた。

まだ自動車より馬のほうが便利だった。

馬は道端の草を食べれば動くけど自動車はガソリンを手に入れるのが一苦労だった。

自動車メーカーはたくさんあったけど、ガソリンのことなんか気にしてなかった。

「ガソリン?しらんがな」という感じだった。

 

小さな缶に入ったガソリンを売る店がところどころにあるくらいで、見つかったらラッキーという感じだった。

自動車で出発したのはいいけどガソリンがなくなって馬に引っ張てもらうというのは普通だった。

 

20世紀に入ってしばらくして、自動車が増えるにつれて「ガソリンスタンド」も増えてきた。

地下タンクとポンプができるまでは、給油というのは厄介で危険な作業だったようです。

読み始めたとこですが、多くの人の努力のおかげで今日のガソリンスタンドがある!ということがよくわかりました。

 

 

 

 

 

 

下宿のおばさん

からしょぼしょぼ雨が降って寒い!

セーターを引っ張り出しました。

毎年この時期こういうことがある。

毎年この時期しょぼしょぼ雨が降って肌寒いと大学の美術部の先輩を思い出すんです。

 

大学1年のこの時期のしょぼしょぼ雨が降って寒い日にセーターを引っ張り出して美術部の部室にいたら4年生の先輩が入って来た。

わ!半袖!

震えてるので、「寒いでしょ」と言ったら、「寒いよ~!下宿のおばさんが冬物と夏物を入れ替えてしまったんだよ~」と言ったんです。

へ~、下宿のおばさんてそんなことしてくれるのかと感心するより、そんないらんことするのかと気の毒に思いました。

当時としてもそういう家庭的な下宿は少なかったと思います。

いや、おばさんが入れ替えたら寒くても半袖でがまんしなければならないというのは家庭的とは言わないか。

ヘンな下宿?

いや、ヘンな先輩?

名前は忘れてしまったけど、半袖のカッターシャツで震えてた先輩の顔ははっきりおぼえてます。

たぶん、これからも毎年思い出すであろう。

さぶっ!

 

 

 

ときのけ

「ときのけ」と言う言葉は知りませんでした。

今年の2月に亡くなった作家の古井由吉さんの小説を読んでたら出てきたことばで、辞書で調べたら「はやりやまい」と出てました。

名前だけ知ってる作家だったんですが、新聞でいろんな人がほめてたので一度読んでみようと思ったんです。

 

私が適当に選んで買ったのは『辻』という連作短編集みたいな本でした。

その中の一話で、おばあさんが昔語りに「ときのけ」の話をするんです。

 

疫病神の手下みたいな男が現われたと思うと村の家々にお札みたいなのを張って歩く。

すると、人々がばたばた倒れ始める。

それが「ときのけ」と言う。

「ときのけ」にやられた者は村はずれの小屋に隔離されて、食事だけ運んでもらう。

運ぶのは、前に「ときのけ」を生き延びた者か、そういう者がいなければ元気な村人で、風上から小屋に近づいて置いて帰る。

隔離された者に力があれば出てきて食べるし、なければ食べずに死んでしまう。

「ときのけ」が猛威を振るっている間は、このままでは近郷に人が絶えるのではないかと思えるほどだが、過ぎてしまえばそれほどの死者が出たわけではない。

「疫病」の「疫」と、「兵役」などに使う「役」とが響き合うような感じで語られて、人として逃れることができない宿命という印象を与えます。

 

ちょうどコロナが世界的流行になるころに読んだので非常に恐ろしかった。

私なんかはコロナを語る世代じゃないですね。

孫たちはコロナを語るには幼すぎる。

というか、「語る」ことではなくなるのか。

NHK特集:コロナの時代』を見る。

 

最後にこんなことを言うのもよけいなことかもしれませんが、古井由吉さん、私には合いませんでした。

 

 

 

 

 

 

隣のバラ

隣の芝生ではなくて隣りのバラ。

ウチにはみごとな芝生がある。

隣に芝生はない。

で、隣の芝生をうらやむことはない。

めでたしめでたしである。

 

ところが隣には見事なバラがたくさんある。

お隣の夫婦が丹精込めたバラである。

この時期大輪のバラたちが見事に咲き誇る。

見せびらかしたい気持ちはわかる。

で、通りからバラがよく見えるように、いつもは道路に面して止めてる車を奥に引っ込めて止める。

お隣のご主人が車を奥に止めだしたら、バラが見ごろです、どうぞご覧くださいと言うしるしです。

 

先日の自治会のパトロールも、ウチの前を通るときお隣の前で立ち止まってバラに注目です。

トロール隊全員口々にほめる。

口々にほめるだけほめてウチのツルバラはチラ見黙殺で通り過ぎる。

 

ウチのツルバラも咲き誇ってるんですよ。

小さいながら今を盛りと咲き誇ってるのを黙殺です。

たしかに小さい。

しかし数はこっちが上です。

 

で、きのうバラ手入れ中のお隣のご夫婦に文句を言いました。

おたくのバラがあんまり立派だからウチが貧相に見えて困ります。

お二人はほめられたと誤解したようでうれしそうに笑ってた。

隣の芝生のほうがマシである。

 

 

 

 

1955年アメリカ

1955年のアメリカ映画、マリリン・モンローの『七年目の浮気』を早送りで見ました。

この映画の中でマリリン・モンロー演じる女性は名前がないと思うんですが。

 

早送りで見て言うのもなんですが、いい感じの映画でした。

ほのぼの豊かな気分になります。

私にとって1955年のアメリカの生活が豊かさの象徴なんですね。

小学生のころテレビであこがれた世界です。

 

「わ!電気冷蔵庫!」

「わ!電気掃除機!」

「わ!お父さんが家で背広着てる!」

 

この映画でマリリン・モンローが男の部屋にクーラーがあるので喜ぶんです。

その気持ちがわかる。

マリリン・モンローに共感できるのがうれしい。

小学生だった私の気持ちを思い出すからでしょうね。

 

小学生のころ見たアメリカのテレビ番組にでてくるのは「いいご家庭」でした。

家も登場人物も清潔できちんとしてた。

 

中学になって『ドビーの青春』という番組を見た時は意外に思いました。

ニューヨーク(?)の下町の洗濯屋さんが舞台で、汗だらけで働くお父さんが出てくるんです。

え?お父さん背広来てない!日本といっしょや!

これは例外だったと思います。

 

アメリカのテレビのホームドラマのおかげで、「1950年代アメリカ万歳」になった。

それがいまだに続いて、1950年代アメリカを見ると豊かなうれしい気持ちになるんですから恐るべき「洗脳」ですね。

 

この映画の中で男がレストランでカネを払って「つりはいらない」と言うんですが、ウエイトレスが「チップはいただいてはいけないことになってるんですが」と言うんです。

そうだったんですね。

1955年アメリカ、いいんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 

顔そり料金論

今日は自治会の防犯パトロール

自治会のドン83歳のAさんが私の顔を見るなり、「あんた、散髪行ったか?」と聞いてきた。

私と同じ町内の散髪屋なんです。

Aさんは、髪の毛は多くないというよりかなり少ない。

完全ツルピカじゃないという程度です。

髪の毛は非常に少ないのにというか髪の毛が非常に少ないからというべきか、髪の毛には気を使ってます。

5年前私が自治会長の時の町内バス旅行の前、散髪屋の主人が腰痛で店を閉めてた。

Aさんは「バス旅行に行くのに散髪しないわけにはいかんじゃろ!」と腰痛の主人を無理やり引きずり出して散髪させたんです。

その話を聞いた人は全員、「散髪してもしなくてもいっしょ!」という判定でした。

 

そのAさんが散髪の話を始めた。

先日私が行った時「顔そりは自粛してます」とのことで料金は200円引きだった。

そんなもんかなと思ってたんですが、Aさんは「けしからん!」と怒るんです。

話を聞くとAさんが怒るのも無理はない。

 

「ワシ、毛ぇなんかあれへがな!顔そりに行ってるみたいなもんやで。それで顔そりなしで200円引きはないやろ!1000円は引いてくれんとあかんやろ!」

 

た、たしかに。

200円引きと言われてツルピカ頭から湯気を立ててるAさんが目に浮かぶのであった。