若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

洗濯場でお湯を分けてもらった事

息子が大学に入って下宿する事になった。
冷蔵庫、テレビ、電子レンジなどを買った。

40年近く前、私も地方の大学に入って下宿する事になった。
家からは、着るものを持って行っただけであった。
下宿の近くの電機屋で、トースターと電気湯沸し機と蛍光灯スタンドとトランジスタラジオを買った。そして布団を買った。机は、前の人が置いて行ったのを使った。
下宿にあった物はそれだけだった。

私が下宿したのは、「日本アパート」という、大そうな名前のアパートであった。
大学の名簿には、「日本カマート」と印刷されて、よくからかわれた。
堂々たるオンボロアパートであった。木造二階建て。東館と西館があった。黒光りする、広い廊下の両側に、四畳半の部屋が並んでいて、廊下は昼でも薄暗かった。
今存在していて、取り壊しの動きなどあれば、保存運動の対象になりそうな建物である。
「やめなさ〜い!若草鹿之助様が下宿なさっていたんですよ〜!バチが当たりますすよ〜!」

下宿生活も間もない頃、夜中に目が覚めた。
ポツポツと音がしている。
何だろうかと電気をつけたら、布団の上に雨漏りがしていた。
漫画で見たことはあったが、経験するのは初めてであった。
漫画を思い出して、洗面器で雨を受けた。布団に洗面器を乗せて寝た。
ちょっと楽しかった。

次の晩の雨は激しかった。
洗面器、コップ、茶碗など総動員しても受けきれなかった。布団をどう動かしても、寝ることは出来なかった。
全然楽しくなかった。

鍵を取り付けるにも、ドアも柱も釘の穴だらけで、まともに取り付けることは出来なかった。南京錠がぶら下がっているという感じであった。
ある日私が帰ると、友達が南京錠を取り外して部屋に入っていたことがあった。

東館と西館の間に、大きな洗濯場があった。
水道の蛇口が並んでいて、たらいと洗濯板が備え付けてあった。
4年間、洗濯板で洗濯した。

日本アパートには、子供のいる家族も住んでいた。二部屋借りたりしていたのであろうか。不思議であった。
部屋に水道がないのだから、洗濯機も置けない。
奥さん達も、洗濯場で洗濯したのである。

冬に洗濯場でそんなおばさん達と一緒になると、おばさん達が持って来たやかんのお湯を分けてもらえる事があった。
「学生さん、冷たいでしょ。お湯あげよう」

そういうとき、私は、「今日はラッキー!」と思った。