若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

一気飲みでなくても酒は恐い

この季節になると、「一気飲みはやめましょう」というような広告を見かける。

父は毎日二合の晩酌を楽しんだ。
飲んでも変わることはなかったので、私は酒の恐ろしさを知らなかった。

私が酒の恐ろしさのようなものを感じたのは、小学5、6年の頃だ。
父の仕事の関係の人が我が家に来て酒になった。
40歳くらいだったのだろうが、私にはかなりの年の物静かなおじさんに見えた。

しばらくすると、その物静かなおじさんの声が大きくなってきた。
しゃべる声も笑う声もとんでもなく大きくなって、私を喜ばせようと言うのか、ふざけて畳の上を転げまわった。

面白いおじさんだ、とは思わなかった。
何だか恐かった。

酒の恐ろしさを知ったのは大学の時だ。
私は、「日本アパート」と言う古色蒼然たる木造二階建て巨大アパートに住んでいた。
広い黒光りする廊下の両側に、四畳半の部屋がずらりと並んでいる。
東館と西館があって、渡り廊下でつながっていて、つながっている部分が共同洗濯場であった。
洗濯場には、木製の大きなたらいと洗濯板が備え付けられていた。

隣の部屋の物音は丸聞こえであった。
私の隣は、やはり大学生で、ある夜、男二人女二人ですき焼きパーティが始まった。
すき焼きを見たわけではないが、「グツグツ」煮える音から推理したのである。

一気飲みはない時代だから、カンパーイ!とパーティは始まった。
楽しい笑い声が聞こえ、すき焼きのぐつぐつも聞こえ、私はよだれをたらし指をくわえてうらやましがっていた。

しばらくすると、A子さん、特に名を秘すまでもなく名前も顔も知らないA子さんの声が大きくなってきた。
アハハ、と笑っていたのが、ギャーッハッハッハ!と笑うようになった。

声が大きくなるだけならまだ良かった。
言葉使いががらりと変わった。

「テメー!このバカ!」
「あの野郎がよー!」などと金切り声でわめきだした。

とんでもないことになった。
他の三人は黙り込んでしまった。
それはそうだろう。
隣の部屋にいる私でさえ顔が引きつったのだから、A子さんを前にした三人の心中は察するに余りある。

A子さんのわめき声が聞こえる。
A子さんがわめくのをやめると、すき焼きのぐつぐついう音が聞こえる。

そのパーティがどのように終わったか残念ながら覚えていない。