若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

うずらのたまご

私が子供の頃、父は大阪の鶴橋で塗料店を開いていた。家のすぐ近くにバス停があって、バスに乗ると二、三十分で父の店の前まで行けたのど、時々遊びに行った。
間口の狭い細長い店だった。隣は、「えびすや」という洋品店で、色の白いふっくらしたおばさんがいた。このおばさんは、父の店の所有者であるFさんの二号さんだった。

母が誰かとしゃべっているのを聞いて、二号さんとは、かなり悪い人のようだと思った。
「Fさんの奥さんみたいな優しい人でも、『あの女殺してやりたい』て言うてはりますわ」

父は非常に子煩悩な人だったが、父と二人でどこかへ行くと、不安な気持ちになった。世の中に連れ出されるという気がしたのか。母と一緒だと、どこへ行っても家庭の延長という気がしたのだろうか。

父と満員電車に乗った記憶がある。冬だったのだろう、黒いコートの大人たちに囲まれて、小さな私は井戸に落ち込んだような気がした。見上げると黄色い電球がぽつりとともっていた。

店の帰りに、時々「とんてい」という飲み屋に寄った。私が行ったことのある普通の食堂ではないと感じた。カウンターだけの狭い店で、おじさんとおばさんが忙しそうに働いていた。男たちが大声で話し、けたたましく笑い、目の前で得体の知れない食べ物がぐつぐつ煮えていて、落ち着かない不安な気分であった。

父が、「うすらのたまご、もらおか?」と言った。
私が覚えている一番古い父の声で、優しい声だ。

うずらのたまごを知らなかった。皿に乗って出てきた、白い小さなつるつるのたまごを見て、不安な気持ちがすーっと消えていった。

二、三年後のことだろうか。
父が、「『とんてい』覚えてるか。『とんてい』に行こう」と言った。
三年生か四年生になっていた私は、「おお、あの『とんてい』か」と余裕を持ってなつかしく思い出した。

行ったのは、鶴橋の路地の奥の「とんてい」ではなかった。広い通りに面した、真新しい食堂だった。がっかりした。どこにでもあるような店だ。小阪駅前の「更科」みたいだと思った。

店に入ると、おじさんとおばさんがいた。
父は、「おめでとう!」と言った。
おじさんとおばさんは非常にうれしそうだった。
新しい店になってうれしいのだろう。
私は、おじさんとおばさんには悪いが、この新しい店はつまらないと思った。