若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

毎日書き続けるということ

私が今書いている日記は、「さるさる日記」という場所を借りているらしい。
どうなっているのかよくわからんのですが、とにかく、「さるさる日記」を利用している人は十万人以上いるらしい。

それだけの日記があれば、中には非常に面白いものもあるだろうと、時々探します。
面白そうなのは見つかるのです。
「板前日記:うちの店に来る、楽しいお客さん、とんでもないお客さんのことを書きます」
これは面白そうだと思って、開くと、
「今日から、『板前日記』を始めます」
と、一行だけ書いてあって、後は空白。

「新米タクシー運転手の日記:いろんなお客さんについて書きます」
これも面白そうだけど、
「今日から『新米タクシー運転手日記』を始めます」で終わってる。

「オール・オブ・マイ・ライフ:貿易商としてがんばってきた私も70を越えました。孫や子に伝えたいことを書きます」
これも、開始宣言のみ。

さるさる日記」十万登録者のうち、半分は、宣言のみ、後の四割が三日坊主ではないかと思います。紙に書く日記と同じですね。

いったい何が言いたい?
そろそろ、ネタ切れで書き続けるのがしんどくなってきたのだろうと思われるかもしれませんが、そんなことはない!
事実をあるがままに書いているだけである。嘘だと思うのなら自分で調べて見なさい。

ほんと、伯母さん、あなたは偉かった。
六十年間書き続けたのですからねー。

さて、昨日から息子が下宿生活に入りました。
今どき普通のワンルームマンション。
私の、巨大おんぼろアパート、四畳半四千円は、当時としても普通じゃなかった。当時の私の友人たちの「普通」は、一般の家の一部屋を借りると言うものでした。

四年間過ごした、日本アパートですが、住んでる人同士の交流は全くなかった。一人だけ、アル中のおじいさんがいて、この人は酔っ払って、よく私たちの部屋を訪問しました。
はじめ、私はこの頭のつるつるのおじいさんを、普通の人だと思っていたので、普通に相手をしていました。途中から、とても相手できないと思いました。

開けっ放しの部屋には、一升瓶が林立していました。
しょっちゅう、部屋で大声で歌を歌っていました。
「イーンドネーシアの〜 日はカーンカーン!」という歌でした。
バカみたいな歌だったけど、どことなく、さびしい感じがしました。