若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

百万円現金入り封筒

現金入りの封筒がポストに入ってたという話は、たまにあります。

朝刊によれば、奈良警察に、差出人不明の封筒が届き、開けてみたら現金百万円が入っていたという。
この封筒には、切手が貼っていなかったので、奈良警察が二百円払わされたそうです。
この、「切手が貼ってなかった」というのが、なんとも言えず、ほのぼのとしてよいと思う。
「百万円あげるのだから、立て替えてといてちょうだい」ということなのか。

奈良警察には、一昨年も百万円が郵送されてきたということである。

半年たって、送り主がわからなければ、県のものになるというのであるが、送った人、それでいいんですか?
警察に送ったんだから、警察にあげたかったんではないでしょうか。
昔、何百万円か盗んだ泥棒が、コツコツお金をためて返済してるというのは、とても失礼な邪推であろうか。

などと考えながらパンにジャムを塗る。
このジャムが、懐かしい、ソントン食品のものであった。
四十数年前の学校給食は、「まずかった」という、罰当たりな記憶が強く残っているのであるが、担当者は色々気を配っていたのだと思う。

年に何度か、スペシャル・メニューの日があった。「給食記念日」だと言うウワサであったが、そんな記念日あったのか?

スペシャル・メニューと言っても、豪華なご馳走が出たわけではない。
ソントンの「ピーナッツバター」などが出たのである。私にとっては、「ソントン食品」というと、「晴れの日の」という印象である。

普段は、あまりおいしいとは言えない脱脂粉乳であったが、記念日には、ぜんざいとか、ジュースが出た。この、ジュースがまた、なんともいえないモノであった。
透明で少し色がついていて甘酸っぱいのであるが、不思議な味であった。アルマイトのおわんで飲むのであるが、アルマイトの金属イオンが溶け出したような味であった。

毎日、かなりの量の残飯が出た。養豚場のトラックが引き取りに来ていた。
学校給食は、当時の食料不足を補うため、アメリカの余剰農産物を活用してはじめられたのだと思うが、昭和30年ごろには、子供たちが食べ残せるほどになっていたのでしょう。