若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

ジラード事件

ロバート・ホワイティング著「東京アウトサイダーズ」を読んでいると、「ジラード事件」という活字が目に飛び込んできた。

覚えている!
この本によると、1957年1月のことというから、私は10歳ということになる。
10歳の私にとって、強く記憶に残っている事件である。

私の記憶。
「米軍の射撃演習場で、薬きょうを拾ってくず鉄屋に売っている人たちがいた。その中の一人のおばあさんを、ジラードという若い兵隊が射殺した。原因は、ジラードが、『あっちへ行け』と言うつもりで手を動かしたのが、『こっちへ来い』と言うふうに見えたからである。日本とアメリカでは、手招きする時の動きが逆になるのである。ジラードは、日本で裁判にかけられたが、非常に軽い刑で、すぐアメリカに帰ってしまった」

この本によると、被害者は、おばあさんではなく、47歳の主婦であった。「手招き」については、書かれていない。
日米双方で、大変な騒ぎになったようである。
私のような子供が、大事件として記憶しているくらいだから、日本国内の反響は物凄かったのだろう。
アメリカでも、「アメリカ軍人を、日本人に裁かせるな」と言う声が起きて、最高裁判所にまで持ち込まれたらしい。

私が全く知らなかった話として、ジラードの日本人妻のことが出ている。
彼女は、彼より7歳年上の、基地のバーで働く女性であった。以前から付き合っていた彼に対する同情心からか、判決の前に結婚した。
彼女は、友人に、「どんなことになっても、彼を守り抜く」と言っていたそうである。
そして、彼とともに帰国したが、アメリカでも一時の「悲劇の英雄」扱いから、「ろくでなし」扱いになっていた。もともと短気だったからか、何をやっても長続きせず、アメリカ国内を転々とした。
その間も、彼女はひたすら夫を支え続けた。
長い苦労の末、貧しいながらも何とか落ち着いた生活が出来るようにはなったようである。

この本には、ジラード事件の頃におきた、米兵による殺人事件が紹介されているが、私はこの事件のほか全く記憶がない。
突然思いだすことになった、悲惨なジラード事件だけれど、この日本人女性「ハルさん」の話は、なんとなく哀れを感じさせるものがある。