若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

エリザベス・スタントンと手を振る少女

声を思い出すことがある。

小学校四、五年だったか、同じ組に水野さんという女の子がいた。
この子の家は、私の家から学校に行く通学路のちょうど中間あたりにあった。

ある日、学校の帰りに、水野さんの家の前を通ると、水野さんが大きな声で国語の教科書を読んでいるのが聞こえてきた。

「エリザーベス、スタントンは!」

独特の、教科書朗読調の読み方であった。
この声が、ずっと記憶に残っている。

エリザベス・スタントンはアメリカの女権拡張論者である。
彼女は、少女時代に、父親の書斎で合衆国憲法を読んだ。
憲法に「狂人と女性には選挙権を与えない」と書いてあるのを見て怒った。
そして、女性参政権獲得のため活動したのである。
これは、男女平等を教えるための教材だったのであろう。

ワシントンと桜の木も習った。
正直の大切さを教えるためだったのであろう。
私が覚えているのは、「ワシントンの母堂は」という部分だけである。
「母堂てなんや?」と思ったのである。

ゲーテが、毎日決まった時間に散歩するので、町の人たちはそれで時間を知ることができたという話も習った。
私は、大人になったら、毎日決まった時間に散歩して、町の人々の時計代わりになろうと心に誓ったが、その誓いを守れていないことを告白懺悔します。

テームズ川のトンネル」も習った。
昔、テームズ川には橋がなく、渡し舟がよくひっくり返って大勢の人が死んだ。
ある青年が、テームズ川にトンネルを掘ろうと決意した。
どうして掘ろうかと考えていた時、小さな虫が、木を食っているのを見た。
そうか!と青年は叫んだ。なにが、「そうか!」かわからんが、とにかくテームズ川のトンネルは開通して、人々は大変助かったそうである。

「手を振る少女」も習った。
アメリカ横断鉄道の超特急「オレンジ号」が走る見渡す限りの大平原に、ぽつんと一軒の丸太小屋があった。「オレンジ号」が通ると、いつもその窓からかわいい少女が顔をのぞかせて手を振ってくれた。
運転手たちは、少女の笑顔を楽しみにしていた。

ところが、少女が顔を見せなくなった。
心配した運転手の一人が、超特急を止めて少女の家を訪ねた。
すると、少女のお母さんが病気であることがわかった。
それで、お母さんを超特急に乗せて町の病院に連れて行ったのである。

この話が好きでした。