若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

持参金問題

きのう書いた「ミス横浜」には二、三歳下の弟が一人いた。
小学生のころには、しっかりしたお姉さんになっていた。

大学生の私が、二人を百貨店の屋上に連れて行くと、弟の方はあれこれ遊具に乗りたがったが、姉は「いいかげんにしなさい!」とドスのきいた声で叱った。

私は大学を出て、家に戻った。
小学生の二人は、夏休みなどによくやって来た。

万国博覧会に連れて行ったことがある。
会場に入ると、彼女は、「軍閥軍閥じゃん!」と叫んだ。
驚いた。当時、万国博を批判する運動があったが、それと関係あるのだろうか、と思った。あまりに意外な言葉に黙っていた。
会場を回りながら、何度も、「軍閥!」と叫んだ。

しばらくして、「バツグン!」をひっくり返しているのだと気付いた。
ヘンなひっくりかえし方するな!

家で話をしている時、彼女は私に、「結婚しないの?」と聞いた。
好きな人がいるのかと聞くので、いないと答えると、「じゃ、叔母ちゃん、もらってやってよ」と言った。
彼女のお母さんの妹で、40歳くらい。早くに離婚して一人暮らしということを聞いていた。
「叔母さんって、トシやからな〜」
「でも、お金たくさん持ってるよ」
「そうか。じゃあ、持参金百万円くらい持ってくるならもらってあげてもいいな」

その日二人とボウリングをしてから、その叔母さんの家に連れて行った。
すぐ帰るつもりだったが、昼ご飯を用意してあると言われてご馳走になることになった。

思ったより若い人だったので焦った。
焦る必要はないが。

自然に、「もうそろそろお嫁さんですね」と言う話になった。
私は、「いえ・・・まだ・・」などとかしこまって答えていた。

そのとき、「ミス横浜」が
「叔母ちゃん、持参金百万円持ってきたら、もらってあげるって」

爆弾発言であった。
子供の恐ろしさを思い知った。
ご飯を吐き出しそうになったのは覚えているが、その後のことは全く覚えていない。

数年前、「ミス横浜」のお母さんが亡くなった。
私は、葬儀に出るため横浜に行った。

「ミス横浜」は、しっかりしたお母さんになっていた。
私を見るなり
「おにいさん!若いですねっ!」

略礼服に黒ネクタイの私は、ピースサインで応えた。

喪服の彼女も、にっと笑ってピースサインを返した。