電車の中で新聞を読む人は多い。
昨日見かけた人は、変わったスタイルで読んでいた。
60歳くらいの男性であるが、左側のつり革の取っ手に左手を突っ込んで、右側のつり革の取っ手に右手を突っ込んで、その突っ込んだ両手で新聞を開いて読んでいた。
楽なのであろう。
眼鏡をおでこに上げている。
老眼なのであろう。
なかなか面白いスタイルだと思って見ていたが、なんかヘンだなと思った。
うちと同じで朝日新聞なのだが、私がついさっき家で読んできたのとどこか違う。
なにが違うのかなと思ってよくよく見ると、それは昨日の新聞なのであった。
昨日読めなかったのか、あるいは間違って持ってきたのかなと思って見ていた。
今朝もその人は同じスタイルで新聞を読んでいた。
なんと、今朝も昨日の朝日新聞を読んでいるではないか。
この人は、新聞を一日遅れで読む主義なのだろうか。
この人なりの、何か特別の理由、主張があるのであろうか。
「私は、新聞はいつも一日遅れで読むことにしています」
う〜む、哲学的である。
精神的に深いものを感じさせる。
思想的背景を探りたくなる。
毎日ふつうに読んでいる自分が、なんとなく軽薄な人間のように思えてくるではないか。
あるいは、ただ単に経済的問題なのか。
一日遅れの新聞を、隣の家の人にもらっているのだろうか。
新聞販売店で、一日遅れの新聞を半額くらいで売っているのであろうか。
特に問題はないが、気になる。
その人に直接聞いてみたいが、気の弱い私にはできない。