若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

衰えるということ

母が入っている施設に行く。

入居者の皆さんを見ていると、何年も一定の状態を維持している人もあれば、どんどん衰えていく人もある。

母は、入居後一、二年現状維持、二、三年で衰えて、ここ三年ほどは現状維持という感じである。
「現状維持」と言っても、ただじっと無言で車椅子に座っているだけであるが。
それでも、動かず無言であるから、「見るに忍びない」という気はしないので、まだましなほうである。と思う。

歌を歌っている人が歌えなくなったり、歩き回っていた人が歩けなくなったりすると、はっきり衰えを感じる。
しかし、会話が出来た人が、出来なくなると、衰えを感じるというより、さびしい気がする。

かつての私の話し相手、94歳の女性Mさんを見ているとさびしくなる。
入居者の中では、ましな状態ではあるが、つい半年前まであれだけ冗談を言いあえた人が、ほとんど言葉が出ないというのはさびしい。

それでも、私を見つけると、車椅子でニコッと笑う。
母は、私を見ても無反応だから、Mさんの方がはるかに良い状態である。

Mさんは、もともと足が悪くて歩行器に頼って歩いていた。
歩行器から椅子に座る時、私が椅子を動かしたり、手を貸したりしていた。

一、二年前のこと、私がMさんに手を貸すと
「にいちゃん、あんたやさしいなー」
「私はね、美人にはやさしいんですよ」
「もう!うまいこと言うて!なんにも出えへんで!」

Mさんの肩をもんでいたら
「あー、えー気持ちや。タダやと思たら、余計ええ気持ちや」

もう一人、かつての私の話し相手で、私の事を「湯川さんのおあととり」と思っていたAさんは、話が出来なくなってかなりになる。
非常によく歩き回る方だったが、歩くのも危なくなってきていた。
最近見ないなと思って職員さんに聞くと、転んで骨折して入院中とのことであった。

「大腿骨頭骨折」である。
母も、伯母達も、Mさんをはじめここの入居者の方達も、たいてい「大腿骨頭骨折」を経験している。

伯母が亡くなって遺体を焼いた時、初めて「人工大腿骨頭」を見た。
高齢者の遺骨はほとんど形も残らないほどなのに、金属製の「大腿骨頭」は、そのままに残っていた。

その時私は、人間の骨が金属で出来ていたら、焼いた時かさばって大変だな、と思った。

なぜそんなヘンなことを考えるのか、私の脳に聞きたかった。