若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

忘れられるということ

母のいる施設に行く。

毎週のように顔を出していると、入居しているお年寄りが顔を覚えてくれる。
私の顔を見ると笑って迎えてくれる。
母が私を認識しなくなって久しいが新たに私を認識してくれる人ができるとうれしい。

このところ、その人たちがまた私を「忘れる」ようになってきた。
この前まで笑顔で迎えてくれた人が、顔を合わせても知らん顔というのはさびしいものである。

仲良しだった94歳のMさんが今私を忘れつつある。
「私を」というより、「すべてを」であるが。
ボケ(笑いを取るための)と突っ込みで私をたじたじとさせたMさんが、私を見てもうっすら笑うだけで何を言っても無反応である。
うっすら笑うというのはまだいくらか脳が反応しているのだとは思う。

非常にさびしい気がする。
母が私を忘れかけた時は、さびしいという気はしなかった。
それどころではなかったのだろう。

ここで知り合いになった人たちから忘れられたり、その人たちが亡くなったりすると非常にさびしい、自分が消えていくような感じがする。

例えば、ここで知り合ったとき私が自己紹介して、名刺にカステラ一箱添えてよろしくお願いしますと言って手渡したのに、名刺とカステラを持ったままどこかへ消えてしまったな〜、持ち逃げされたな〜、なんか損したな〜、という感じである。

本来ならば、「せっかくこの世でお知り合いになれましたのに」と言うべきかもしれないが、私は、「せっかく名刺とカステラ渡したのに」というふうに思ってしまう。
ケチだからか?

新しい入居者のYさんという女性はかなりヘンである。
ほとんど話せない。
時々机をガンガンたたく。
いつも顔をゆがめて今にも泣き出しそうな表情である。
いつも舌を変な風に出している。
だから、たまに出す声も変な声になる。
身体を揺らせながらよたよたと歩く。
手を出してあげると、手を握るのであるが、その力は非常に強くて驚くほどである。

そんなYさんが私の事を覚えてくれたようで、私が行くと顔をゆがめて泣き出しそうな表情で、舌を変な風に出してうめき声をあげて、よろめきながら近づいてきて私の手を凄まじい力でギューッ!と握り締める。

これが結構うれしい。
私はよほどさびしがりなのか。
ザコンか。
年上の女性に弱いのか。
よくわからん。