若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

年賀状

年賀状の季節である。

初めてのイヌ年のとき、葉書いっぱいに、骨をくわえた犬の顔の版画を作った。
母に見せたら、年賀状に骨は・・と顔をしかめた。

記憶に残るような年賀状は少ない。
高校3年のときの、クラブの1年生、Uさんというキュートな女の子を思い出す。

私たちの高校の美術部は名門であった。
野球のPL学園みたいなものだ。
毎日新聞主催の、「全日本学生油絵コンクール」というのがあって、毎年一校に「最優秀学校賞」が与えられる。
過去に何度か受賞していたし、私が入学してからは三年連続で受賞した。

二年の時、前年に続いて受賞したというのに、甲子園と違って何の話題にもならない。
何とか全校にアピールしようと、部長のO君と看板を作った。
「美術部:全日本学生油絵コンクールで連覇!」

国語のI先生が通りかかった。
私の俳句を、「ヘンだ」の一言で切り捨てた先生だ。
看板を見て、「おい、『連覇』はおかしいぞ」
ヘンか?

名門美術部はどんな活動をしていたか。
絵を描くのも体力だということで、毎日運動場を十周したりはしなかった。
基本はデッサンだということで、毎日石膏デッサンに励んだりもしなかった。
何もしなかったが、展覧会の前は美術室で夜遅くまで描いた。
先生に無断で美術室に泊り込んで描いたりした。
よくそんなことが出来たものだと思う。

ただし、女子は8時までと決まっていた。
8時になると、男子が、にぎやかな大通りまで送って行くことになっていた。
私の「騎士道精神」はこの頃培われた。

その夜も、女子を送って行ってから描いていた。
9時ごろ、美術室の戸が開いた。
Uさんがニコニコと立っていたので驚いた。
タオルの入った洗面器を抱えているのを見て私は混乱した。
この子は一体・・・。

「どうしたの」
「絵、描きに来ました」
「洗面器は?」
「お母さんに、お風呂に行くって言って出てきました」

その後のことは記憶にない。

そのUさんから年賀状が来た。
「大学に合格しますように」と書いてあった。
私は、それを読んで「よっしゃ!」と燃えるような男ではなかった。
触れてほしくない話題であった。

2年生のFさんという女の子とそんな話をしていたら、彼女もUさんから年賀状をもらったという。
「私の名前、『弘子』でしょう。Uさんからの年賀状の宛名、『強子様』て書いてあったんです」